2016/09/30

無題

週末が巡ってくることのなんと早いことかと毎週末に思います。ここしばらくたくさんのことがいきなり結びついたり、あれは伏線だったのかと思い出すことが続いています。自分がそういう認識をしているに過ぎないといえばそれまでですが、そう考えることができるのは自分しかいない。自分の人生を語るのは自分しかいないのです。

先週末の日曜日の夜8時、JR伊勢市駅前から西に向かう県道を車で走っていたとき、FM放送でドヴォルザークの交響曲第8番の第3楽章がちょうど始まりました。久しぶりに聴く第3楽章でそれとは予期せぬFM放送からです。どうしてこの時ここでこの曲なのかと一瞬戸惑いがあって胸が熱くなりました。シャッターが閉められて人通りのない商店街に沿った空いた薄暗い道にト短調の3拍子の舞曲が目に見えて流れていくようでした。何が必然で何が偶然なのか、時間軸に織り込まれた断片が何かしらのきっかけで解き放たれて目の前に現れ、それがまるで伏線だったように自分の中に落ちてくる。こんなことが続くといつしか予感が訪れる。そして、予感はあったはずなのに予期しない訪れのように事が連鎖して起こるのだ。今週はそんなことが仕事でもありました。忙しくなりますがやり甲斐もまた相応の手応えがあることがわかっています。しっかり掴んでいきたい。

明日の沼津行は本とジャスミンティー2本を持って電車に乗り込みましょう。

2016/09/25

聞き書き、という営み

今日は大失敗がありました。オーケストラの練習に行く前に団のサイトで時間を確認すると予定が変わっていて今月の練習は終わっていました。この夏はスケジュールが合わなくて練習に行けず、また、予定も確認していませんでした。

時間ができたので気になっていることを確かめることにしました。先週、知人に私のブログとホームページのURLをお知らせしたのですが、そういえばどんなことを書いていたのだろうとのぞくと自分でも驚くことがありました。「南の風」のホームページを立ち上げたのは勤務校のバリアフリー花壇、持ち上げ花壇を紹介するためでした。それが1998年、18年前のことです。日記風の文章を載せ始めたのは2001年でした。よくこんなにある意味まめに書いたものだと驚きつつ、その記述が今の自分につながっている軌跡そのものに思えました。とりわけ私の琴線に触れた文章や詩、エピソードは私の思考のの節目となってきたことがわかりました。そして、自分がその時々に何を感じ、思い、考え、どんな言葉でそれを書き留めてきたか、今となっては大切な記録です。話が飛びますが、聞き書きとはこんなことなのだろうかと思い巡らせます。

10月1日土曜日、沼津市で開催されるNPO法人ユートピアの聞き書きワークショップに行きます。講師は「神、人を喰う 人身御供の民俗学」や「驚きの介護民俗学」の著者、六車由実さんです。内容は「すまいるかるた」作りで聞き手と語り手の双方を体験できるものと期待しています。私が共感するのは聞き書きといっても一方的な聞き取りではないという点です。聞き手と語り手が双方向に言葉にうなずき、新たな展開に導かれて新たな話題へと次々とつながる。「驚きの介護民俗学」でこうした記述を読んで意を得たりと思いました。教育も学習内容はしっかり押さえながらもそこに至るプロセスはその場にいる子どもたちと先生が双方のやりとりで構築していくことこそこれからの社会を自らの協働で作っていく力となるのではないでしょうか。興味は尽きません。

そういえばホームページのURLが変わってアクセスカウンターがサービスから外されたのに今日見たら引き続いてカウントされていました。運営会社側の変更なのでサービスを戻したのでしょうか。納得の対応です。

2016/09/24

エテュード・アルモニーク

このブログの右に「検索フレーズランキング」が表示されるようになっていて、時々意外なフレーズが表示されるのでちょっと注目しています。今日は「エテュード・アルモニーク萩原英彦」と出て驚いています。誰がどんないきさつで検索したのだろうと。

「エテュード・アルモニーク」は萩原英彦の子どものためのピアノ曲集です。私はこの曲集をレコードで知り、CDで買い直しました。楽譜の発売は1994年、22年前とか。少しばかり意外です。もっと前の出版だと思っていました。というのは、この作品や湯山昭や三善晃らの日本人の作曲家による子どものためのピアノ曲に関心をもって楽譜などを集めていたのはもっと前のこと、私が20代半ばの頃だったからです。10年くらいの開きがあります。例えば北村知恵の「子どもの目の高さで歌おう」は1983年(昭和58年)の出版で、その翌年に北村知恵の公開レッスンに参加して子どものためのピアノ曲のリサーチにさらに関心を高めることになりました。これは私の単なる記憶ちがいか。彼の合唱曲「光る砂漠」は1971年の作品で私が中学校2年、大学の時この合唱曲を知って聴き込みました。私の中では萩原英彦は一定の年代でまとまっているので単なる思い込みか。

このピアノ曲集は「子どものための」との位置づけですが、フランス音楽のような印象派の香りがいっぱいの素敵な作品だと私は思っています。左手のための曲もあってちょっと冒険的でもあります。ある意味子どもらしくないようにも思えますが、こうした曲に子どものとき出会っていたらちょっとちがうピアノとの付き合い方が生まれるのではないかとも思うのです。小学生の頃習っていたピアノでバッハに出会う機会がなかったことは今も残念に思っているくらいです。今どきの子どものピアノ事情はどうなのでしょう。

2016/09/18

ポンチ絵

仕事上ポンチ絵を描くことが時々あります。この連休も週明けに提案する内容をまとめなければならずプレッシャーでしたがそれはそれで発想のエネルギーにもなります。2日でなんとかポンチ絵を1枚仕上げました。キーワードは「インリーチ」という言葉でした。造語です。「アウトリーチ」の対義語としました。新しい取り組みは概念を表す言葉、キーワードが文字通り鍵となります。決まったら言い切ったもの勝ちの勢いで真っ直ぐアピールしていきます。かといって100%新しいことばかりではありません。教育は時として取り組みや営みの意味や価値を説明しないことでその真意などが伝わらないことが少なくありません。自分たちがしていることの説明によって共通理解につながり、中長期的な指導支援が有意に継続できると考えています。このポンチ絵をたたき台として対話が重ねられることによってシェイプアップと共有が進むことを切に願うばかりです

2016/09/09

夏休みが終わって2学期が始まりました

次々と到来する台風が去って風が変わりました。8月いっぱいは毎年時間がなかったり猛暑に用心したりで物事が進まず、今年も同じでした。ただ、ひとつちがったことがありました。積極的にアプローチしたところには欲しかった情報があり、そこから芋づる式に本、本、本へとつながっています。今以て現在進行形です。あっという間の“夏休み”でしたが収穫は小さくありませんでした。一言でいえば長期的に物事を考えることができるようになったということでしょうか。そのための言葉との出会いがたくさんありました。

夏休みが終わって2学期が始まりました。2学期の始業式は7回挙行しました。本校舎と病棟、そして、大学病院の院内教室と病室です。私はスポットで登場するのみ。子どもたちと先生方とのその時々の営みこそ学校を学びの場としています。入院中の学校は子どもたちが子どもらしさを取り戻す場です。併せて、小中学校、高校にも病気や心身に不安を感じている子どもたちはたくさんいます。配慮しつつもどの子ものびのびと学ぶことができる環境づくりを探っていきたいと思っています。

2016/08/13

サマースクールにて

昨日、以前勤務していた特別支援学校のPTAのサマースクールでミュージック・ケアのセッションをさせていただく機会がありました。7月と8月はポコ・ア・ポコをお休みとしましたがスポットのセッションが3回入ってきています。スポットとはいえ、何年も続けていると関係性も深まります。今回もミュージック・ケアの文脈に沿った空間の中ですっと始めることができたのはすばらしい。ほんとにすごいことと思って感謝しています。お母さん、きょうだいのみなさん、先生方も楽しんでいただけたものと思っています。長い夏休みのたった1日ですが、親子、家族が同じ体験をして帰り道や家でふと思い出しては見合ってニコッとする、そんな豊かないとなみ、関係性につながることを願っています。

2016/08/05

「あん」を読む

今週後半は鳥取に出張でした。3日間、ホテルと会議場の往復に終始しましたが、ふと、ドリアン助川の「あん」が無性に読みたくなって家に帰るのが待ちきれず鳥取で2冊目を買い求めました。作品としての「エンド」はもちろんテーマの「解決」ではないのですが、テーマについてひとつのみちすじを示すことは文学作品として不可欠です。「あん」が示しているみちすじは、しかし、ひとつのみちすじに止まらず、人間一人ひとりの存在の意味を示唆しているように思っています。もっとたくさんの考え方があることはわかっているつもりですが、私にはこんなにも心を揺さぶられる言葉で語られるのは他にないかもしれません。ここしばらくいくつかのことがあって読みたくなったのは「あん」でした。この余韻はしばらく続くでしょう。

出張の夜はふだんできないことにじっくり取りかかる時間でもあります。「南の風」のホームページが閲覧できるようになりました。ずっとずーっと更新できていませんが、ポコ・ア・ポコの音楽療法はぶれずにホームページでお知らせのとおり続けています。よろしければ右のリンクの「南の風」からご覧ください。

2016/08/02

「障害学を再考する」紀伊國屋書店新宿医書センター

津久井やまゆり園の事件をテレビで知ったときは身体が凍りつきました。犯人の状況が明らかになるにつれて私はこの事件に止まらず根源的な思考の領域に踏み込もうとしてしまいます。この事件を機に紀伊國屋書店新宿医書センターで「障害学を再考する」というコーナーが設けられました。本はネットで買えますが、このコーナーを想起した人のメッセージはやはりその場に行って本に囲まれてみないとわからないように思います。こうした一人ひとりのアクションが今後長期にわたって積み上げられることを切望するとともに私自身ができることをしっかり見直していきたいと考えています。

2016/07/22

夏休みの宿題

梅雨明けの日の朝、そうとは知らずにカーテンを開けるとレースのカーテン越しに届く陽光がはっきりちがって見えました。外に出ると真っ青な空と乾いた西風が吹いていました。ほどなく梅雨明けのニュースが耳に入りました。梅雨明けがこんなにもはっきりわかる年は初めてだと思います。そして、この西風はどこから吹いてくるのだろうとしばし考えました。西風が吹くとよく思い出す物語はクリス ヴァン・オールズバーグの「西風号の遭難」です。今も小学校の教科書に載っているのだろうか。

ポコ・ア・ポコは会場と自分のスケジュールが合わず、7月と8月はお休みとなりました。いつの頃からか夏休みの方が忙しくなってきて今年の夏はちょっとない過密さです。土日をはさむと出張で1週間出勤できないこともあり、その土日も研修や学会が集中しているので先が思いやられます。しかし、今が踏ん張り時で前に進むのみです。たくさんの出会いや発見が楽しみです。

「夏休みの宿題」でこれは素敵と思ったのはイタリアの高校の先生、チェーザレ・カタさんが出した宿題です。一つ目の「ときどき、朝ひとりきりで海辺に散歩にでかけること」からやられました。レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」から受ける印象と通じるところがあります。内なる世界との静かな対話が自然の中で実感をもって浮かび上がってくるような感覚があります。この「宿題」をもらった高校生たちはどんな夏休みを送っただろうと、それも気になります

2016/07/09

Linux

ここしばらく週末を使って余っているパーツやバーゲンで買い足したドライブなどを加えて“試験機”を組み立てました。MBはmini-ITXですが一番安価と調達したケースはMBを水平に設置する構造だったのでmini-ITXとは思えないほどの大きさになってしまいました。その分冷却は問題なさそうです。ストレージは3年前までMacBook Proで使っていた1TBのHDD(2.5inch)をフォーマット、メモリは他の自作用にストックしてあったものを流用するなどしてケーブルやネジもストックから選り取り見取りといきたいところですが、mini-ITXゆえの制限をクリアするためにUSB3.0ケーブルやsata増設の拡張ボードなどを取り寄せることになりました。スイッチを入れるとケース正面のファンがLEDで淡いブルーに光るタイプだということがわかってちょっとびっくりです。なかなかきれいなものです。

OSは初めてLinuxをインストールしました。サーバー仕様ということでディストリビューションはCentOS7です。Linuxのインストールは初めてで少々緊張しましたが、立ち上がった画面を見るとまるでMacOSのようで驚きました。ブラウザはFirefoxがプリインストールされていてOSがLinuxであることを全く意識しないで使えます。オフィス系なども一通りプリインストールされていてWindows系のソフトを使わないのであればこれで完結してしまいそうです。CentOSはRed Hat Linuxの“無料版”とのこと。そのRed Hat LinuxといえばMacOSはRed Hat Linux上で動くプログラムで、MacBook Proを使っていたときに一度だけRed Hat Linuxのロゴが見えたときがありました。そもそもLinuxがAT互換機というかDOS/Vマシンで動くこと自体にコンピュータの歴史が垣間見えてすごく面白いと思うのです。

自作パソコンの楽しみのひとつはパーツ選びにあります。パーツは見ているだけでも楽しい。私がいちばん見入ってしまうのはCPUクーラーです。とりわけファンレスのヒートシンクはアートと思えるほどの意匠が伝わってきます。アクリルやガラスの窓のあるケースで組んでずっと見ていたくなります。そう、パソコンのパーツはそんな美しさを備えたものが少なくありません。それらをケースに組み込んで電源を入れると「工場萌え」の如き様相となります。だから自作は止められないという理由というかいい訳になります。マシンの性能をパーツの組み合わせでコントロールするのも自作の醍醐味です。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...