2001/09/06

夏の終わりに…

■夏が終わろうとしています。夏の終わりはいつもちょっとした感慨があります。自然の圧倒的なパワーを感じる夏、その夏が終わるといっても“凋落”という感じではありません。これから秋ですからね。秋は実り、彩り、そして落ち着き…カメラを持って飛び出そう!
■8月26日のファイン・アート・フォトグラファー講座は今まで知らなかったアート・フォトの世界を肌で感じる機会でした。いちばん驚いたのはオリジナル・プリントです。印刷やガラス越しでなくこの目で直に見たのは初めてです。モノクロのプリントがこんなにも美しいものだったのかと、印刷ではわからない質感に圧倒されました。黒という色、白という色がこんなにも豊かな色だったのか、そして、黒と白の間にはこんなんもたくさんの階調があったのか! カラーリバーサルからのダイレクトプリントも同じくらいインパクトがありました。写真の力をあらためて思い知りました。講座はカルチャーショックですらありました。毎日少しずつ思い出しては自分なりの受け止め方を模索しています。
■夏の終わりに、もうひとつ、『EVITA』(エビータ)のサウンドトラックをきいて目が醒める思いがしました。映画『EVITA』は同名のミュージカルの映画化で、作曲はアンドリュー・ロイド・ウェッパー、エビータ役はマドンナです。たまたま中古のCDを見つけてわずか580円で買いました。エビータへのレクイエムで始まるCDはただならぬ緊張感があります。どの曲も痛いほどの鋭いリズムの刻み方で、歌のもつエネルギーがすごい。自分はなんというぬるま湯につかっているのだと一瞬で自覚してしまう。ファイン・アート・フォトグラファー講座できいた“情熱”という言葉を思い出していました。

2001/08/24

トマトソースとパエリヤ

■久しぶりにトマトソースを作りました。寸胴の中のトマトたちはまるで砂金のように点々と金色に輝くオリーブオイルとほどよくなじんでいきます。トマトたちはイタリア生まれ、オリーブオイルもイタリア生まれだから、この極東の地のお鍋で再会ですね。そして日本の野菜たちといっしょになってスリリングな味を作っていきます。何回作っても少しずつ味や香がちがいます。
■私が作るトマトソースは東京銀座の“ラ・ベットラ・ダ・オチアイ”のレシピです。すごくレアなトマトソースです。素材が生きているのです。“ラ・ベットラ・ダ・オチアイ”は日本でいちばん予約がとりにくいレストランといわれています。でも、ランチは当日の予約順なので、この1月にランチを食することができました。どのディッシュもはっきりしたキャラクターをもっていて、私の舌は目を白黒? そこで、トマトソースのパスタにチャイブが入っていることにびっくりしました。トマトソースもレアっぽいけど、チャイブのレアっぽさはまた格別です。シンプルで大胆なアイデアに感動してしまいました。
■今回のトマトソースにはタマネギのみじん切りを入れました。理由は、冷凍のトマトソースを使うときは時間がないときが多くて、タマネギのみじん切りをしなくてもいいようにするためです。もちろん、タマネギの味も香も歯ざわりもちがってきます。でも、これが現実的な選択なのです。“ラ・ベットラ・ダ・オチアイ”のレシピとちがうところです。
■イタリア料理が好きだ!と意識したのは、昨年、横須賀に単身赴任していたときでした。食堂の食事がいまいちで、おいしいものが食べたい食べたいと思っていたとき、青山のクレヨンハウスに行って、気がついたらイタリア料理の本ばかり立ち読みしていました。家に帰ったら自分で作るんだ! 地元のイタリア料理店も一通り回ってますますその深みに…また時間が足りないではないか!
■ここのところ、パエリヤが気になっています。志摩スペイン村でパエリヤの鍋も買ってきました。素材を生かす、オリーブオイルをふんだんに使う、というあたりはイタリア料理とすごく似ているんだけどな…どうしてパエリヤはイタリアに生まれなかったのだろう。なぜスペインに? この秋はパエリヤに挑戦です。

2001/08/23

#$%&’…?

■台風一過、日中は暑いもののさすがに秋らしさがちらほらと見え始めましたね。私が住んでいる三重県松阪市の西部は堀坂山の山並みから続くなだらかな丘と田畑がとても美しい里山です。白米城跡がある桝形山の頂上から見る風景は最高です。そこから豊かに実った金色に輝く稲田をD30で撮りたいと思っていましたが、空が澄む前に稲刈りが始まってしまいました。
■D30の勉強はだんだん裾野が広がって#$%&’…?といったところです。『西川和久のデジカメ&フォトショップ スーパーテクニック』(インプレス 2001)を読んで、私のD30も現像パラメータのコントラスト、シャープネス、彩度をみんな“弱”に設定してみました。レタッチに耐えるデータを得るためです。PhotoShopはプロの使いこなしに目が点となるし、“電塾”の“考えれば考えるほどわからなくなる解像度を徹底的に理解する”(解説:早川廣行)をプリントして読んで#$%&’…?となっていますが、ハードの勉強はそれなりにおもしろいものです。ソフトとしては、内田ユキオの『ライカの写真術』(ナツメ社 2001)を読んでいます。ライカは気になるカメラです。ライカを仕事の道具として使っている内田ユキオの言葉も不思議な引力を感じます。やはりライカで仕事をしている小原誠の写真も好きです。白岡順もライカを使っているのだろうか、と思うフォトグラファーです。
■8月26日日曜日の“ファイン・アート・写真家講座”に受講の申し込みをしました。仕事がつまっているので東京との往復は深夜の高速バスを使います。ハードスケジュールですが、今動かないと何も始まらないと思ってのこと。受講の申し込みをしたとき、「作品があったらお持ちください」と言われてはっとしました。今まで“作品”を意識しながらも“作品”を作ってこなかった。やっぱり今動くべきだと思いました。

2001/08/17

テレビテレビテレビ!

■12年近く使ってきたテレビがついに映らなくなって買い替えとなりました。急なことだったので、とにかく安いものを探しました。ワイドサイズとか、デジタル放送とか、ハイビジョン放送とか、テレビも変わってきていると感じてはいましたが、いざ買うとなるとわからない。行った先の量販店にはくわしい店員がいなくて、展示品の取説を見て、たぶんこれならしばらく使えそうだと思った29インチのフラットブラウン管、BSチューナ内臓、D1端子付きを49,770円で買いました。
■テレビ台を組み立てていて、はたと気づいた。ずいぶん大きい。今までのは何インチだったのだろう…品番を見ると27という数字が…そうか、家では大きく感じて、店では小さく感じて、さらに大きな29インチを選んでしまったのでした。
■映りはとにかくきれいです。テレビの解像度は画面の大きさに関係なく一定なのでこれくらい大きくなると画面が荒れる感じになると思っていましたが、どうしてこんなにもきれいなのだろうと不思議です。これまで何回も見てきたビデオも、オリジナルを見ているかのような鮮明さです。その画面を見ているだけで目が点になってしまいます。フラットの画面は圧迫感がありません。ボディはシルバーですっきりした印象です。それがとても自然でやさしい感じがします。こうなるとDVDプレーヤーもそろえたくなりますが、PS2があるのでちょっと見送りです。
■不要となったテレビは家電リサイクルに回しました。郵便局で家電リサイクル券を買ってメーカー指定の引取所まで運ぶだけです。費用はかかりますが10年以上も使ってきたテレビをリサイクルに回すのはちょっとした感慨がありました。

2001/08/11

東京ディズニーランドと『千と千尋の神隠し』

■7~8日、東京ディズニーランドとイクスピアリに行ってきました。ホテルはシェラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテルに泊まりました。まとめて“東京ディズニーリゾート”というネーミングで、9月4日には東京ディズニーシーがフルオープンします。
■東京ディズニーランドは実に11年ぶりです。やっぱりものすごい人人人で、朝5時に着いたのにすでに列ができていました。小さな子どもたちも楽しそうに何時間も待っているのにはほんとに驚いてしまいました。ディズニーランドって、一体何だろう…
■朝一番に行ったので“プーさんのハニーハント”もほとんど待ち時間がなくて、かえって壁面の物語を読む時間がなくて残念だったくらいです。プーさんは今いちばん人気です。ショップに行ってもプーさんだらけ! 何をしてもパッとしないけど、マイペースのプーさんからは“今のままの自分でいいんだよ”というメッセージが伝わってきて、“今”にアピールするところが大きいのだと思います。
■今回は、なぜか、“音”に敏感な自分にびっくりしました。“イッツ・ア・スモールワールド”の音は、古いAMラジオが精一杯音を出しているようで不快でした。アトラクション自体が古くて、だから、オーディオ機器も録音も古いのかも知れません。でも、もうちょっと生理的にやさしい音でもいいんじゃない?と思っています。
■ディズニーランド全体では音のマネージメントに感心しています。園内放送はないし、音楽も流さない。声を機器に通すときはそれなりの効果を求めるときだけです。直接的な説明はみんな肉声です。これがすごく心地よい空間を提供しているのです。
■園内に音楽が大きく流れるのはパレードのときだけです。私はエレクトリカルパレードの音楽が好きで、今回もそれがいちばんの楽しみでした。固定スピーカーとパレードの各セクションから流れる音楽は一体どういうシンクロをさせているのだろうと不思議です。
■イクスピアリでは宮崎駿の新作『千と千尋の神隠し』をみました。よかった。ほんとによかった。
■私の興味は音楽です。音楽は久石譲、今回はどんな音楽を作ったのだろう。『天空の城ラピュタ』も『魔女の宅急便』も『となりのトトロ』も好きなんですが、宮崎駿の映画音楽でいちばん好きな『耳をすませば』の音楽担当は、意外にも久石譲ではないのです。坂本龍一と『ラストエンペラー』で音楽を担当した野見祐二が『耳をすませば』の曲を書いています。久石譲の音楽を意識してきいたのはNHKスペシャル『驚異の小宇宙・人体』が初めてでした。以来、彼の音楽はよくきいてきたつもりですが、『耳をすませば』はちがったのです。久石譲の音楽はメロディーラインが絶品で、野見祐二の『耳をすませば』の音楽も似ています。でも、どこかちがいます。
■さて、『千と千尋の神隠し』の音楽は、今までの久石譲とは一味も二味もちがいました。あのストーリーならどうしてもそんな音楽になってしまうのかも知れませんが、私にはすてきな音楽でした。ちょっと“現代音楽”っぽくて多彩で、クラシック音楽みたいな楽器の使い方で、私は控えめな音楽を一生懸命きこうとしていました。映画が終わったら近くのCDショップでCDを買ってしまいました。
■映画そのものもよかったです。比喩とか直接的なメッセージとか、それはそれとして、宮崎駿のイマジネーションの自由さにあっと驚いて感動してしまいました。怪物のような神様たちがぞろぞろと骨休めにやってくる湯屋の姿は、いつか、夢でみたちょっとこわい光景なのです。すごく高いところで足元がない! 居心地がよいはずなのに、何か、終わりのないことをしている自分がいる。夢でみたそんな光景をスクリーンでみせられてるとぐいぐい引っ張り込まれてしまいます。
■千尋は川でおぼれかけたことがあります。ハクと空を舞うとき、そのときの記憶が一気によみがえります。川の水の中でハクと出会ったことを思い出すシーンには泣いてしまいました。自分の存在の不思議さ、自分って何? そんな哲学的な問いかけとひとつの答が『千と千尋の神隠し』にはあるのではないでしょうか。“神”というキーワードのとらえ方は私は曖昧ですが、『千と千尋の神隠し』に登場する神様たちは風呂に入るし酒も飲むしで、妙に人間臭さがあって楽しい。
■今回の旅はカローラフィールダーSタイプで中央高速道路を走りました。ディーゼルエンジンのルシーダとは比べものにならないくらい快適なドライブでした。

2001/07/27

サラ・ブライトマンの『ラ・ルーナ』

■今日は出張もあって100キロあまりも走りました。車で走っているとき、ずっとサラ・ブライトマンの『ラ・ルーナ』をきいていました。『ラ・ルーナ』というアルバムの『ラ・ルーナ』と、続くシークレット・トラックの『ムーン・リバー』です。2時間あまり、ずっと同じ曲ばかりきいていたことになります。
■ノートによると、これはドヴォルザークの歌劇『ルサルカ』の中のアリアとのことです。木管のユニゾンがどこかなつかしいと思ったのはそこなんですね。ドヴォルザークの“音”です。
■なんと美しい歌、そして、なんときれいな声なんだろう! 『ラ・ルーナ』は「このアルバムの直接のインスピレーションとなった曲」とのこと。「ラ・ルーナ」とは「月」です。『月光浴』という、月の光だけで撮った写真集が少し前に話題になりました。サラ・ブライトマンはこのアルバムで月をテーマに選曲しています。月明かりは昼間みえない何かをみせてくれます。月の歌を歌うサラ・ブライトマンもまた彼女の世界をひろげたようです。
■激しい想いも、切ない想いも、サラ・ブライトマンが歌う恋の歌はまっすぐ心に届きます。そして、安珠の写真とメッセージもそうなんですが、サラ・ブライトマンの歌も、なぜか、“ひとり”ということを意識してしまいます。“ひとり”というよりも、そうですね、“自分”ということでしょうか。「音楽とは、語るべき自分をつくり、もたせ、守らせるもの」という北村智恵の言葉を実感させてくれるサラ・ブライトマンの歌であり、また、安珠の写真でもあるように思います。アートはそういうものなんですけどね。

2001/07/25

安珠が撮る写真

■安珠の写真集が届きました。『恋文の森』と『Hoshi no hito』の2冊です。写真集の古書を扱うインターネット書店“小笠原”で買いました。安珠のサインやメッセージが入っています。安珠写真展「恋文の森」の半券もはさんでありましたから、その会場で買い求めたものでしょうか。どちらも折り目もなく、たいへんきれいでした。
■彼女が撮る写真の魅力は何と表現したらいいのでしょうか。どこかやさしげで芯があって…。『恋文の森』につけられたメッセージを紹介します。

ごあいさつ
わたしは窓の外の風景を眺めるのがとても好きです。それは幼い頃の入院生活から、始まっています。じっと眠るだけの毎日で、時間を感じることが出来たのは、白い壁に切り取られた四角い窓の風景を眺めている時だけでした。ゆらりと流れる雲、風に吹かれる木々、太陽や星。どこまでも空想の世界がひろがってゆく、心の窓でもありました。
誰も、窓の外に流れる時間を止めることは出来ません。わたしたちの命には限りがあります。でも、愛に限りはありません。たとえ、命が消えたとしても、愛は永遠です。
人生という深い森をさ迷い傷つきながらも、自分を受け入れて歩いてゆくことが、愛する人への恋文なのだと思います。
永遠の愛を信じて生きてゆきたい。そのためにわたしは一瞬を大切に想います。

※おそらく、1995年の「安珠写真展 恋文の森」の会場で販売された写真集『恋文の森』に添えられたメッセージです。

2001/07/22

『センス・オブ・ワンダー』とプラネタリウムとプール

■海の日から今日まで、3日の連休が終わろうとしています。毎日夕立がありました。疲れが一気に出たようで、この3連休は休養第一で過ごしました。
■7月20日(金)は、『センス・オブ・ワンダー』の映画会に行きました。邦訳者、上藤恵子氏の講演と映画です。映画は上籐恵子が『センス・オブ・ワンダー』の舞台となったレイチェル・カーソンの別荘を四季折々に訪ねて同書の朗読をするというスタイルでした。レイチェル・カーソンの本はすばらしいし、舞台となった別荘を取り巻く自然もすばらしい。でも、私は、ここ、私の生活圏の自然も負けず劣らずすばらしいではないかと、へそ曲がりなことを考えてしまいました。どういうわけか、今年は松阪市から度会町への通勤路の田畑や里山がほんとに美しく見えて仕方がありません。梅雨時はまた格別でした。どうしてでしょうね。
■7月21日(土)は車で10分足らずの“みえこどもの城”に行って、“IMAX”(アイマックス)の画面を使ったプラネタリウムと3Dの映画をみてきました。プラネタリウムは先月も名古屋市立科学館でみてきたばかりですが、何度みてもいいものです。
■今日はちょっと元気が出てプールで泳いできました。

2001/06/20

『ほしひとつ』

■『ほしひとつ』はNHKの『おかあさんといっしょ』で歌われてきた歌です。この歌をあらためてきく機会があって、その豊かな情感と音楽性に心底ほれこんでしまいました。
■ピアノで弾こうとしましたが手持ちの『おかあさんといっしょ』の歌集には入っていません。楽譜を探しに行く時間もないのでCDから採譜することにしました。採譜してコード付けをすると曲の構造がわかっていい勉強になります。『ほしひとつ』の冒頭はクリシェのエッセンスをちょっぴり効かせています。Aの最後2小節は最高音が2回出て低い主音で強引ともいえるような終わり方をします。Bは…雰囲気は短調に転調したかのようですが、実は、D-durからB-durへの転調です。CDの神崎ゆう子さんの歌はその曲想の切り替えが実に見事でほれぼれしてしまいます。
■『ほしひとつ』は神埼ゆう子作詞、坂田修作曲です。『おかあさんといっしょ』の歌のおねえさんとおにいさんです。歌詞を紹介します。(神崎ゆう子作詞)
ほしひとつ

よぞらを たび する ほしたちを
ちいさな ゆびで かぞえてごらん
あなたが うまれた ひに
ほしが また ひとつ ふえた

よぞらを たび する ほしたちを
ちいさな こえで かぞえてごらん
あなたが おしゃべり した ひ
ほしが また ひとつ ふえた

ながれぼしが ひとつ
ねがいごとは なに
ちいさい ころからの
ゆめを かなえてね

よぞらを たび する ほしたちを
いつか ふたりで かぞえて ごらん
あなたが およめさんに なる ひに
ほしが いっぱい

あなたが およめさんに なる ひに
ほしが いっぱい
■私は「およめさんになる」ことがすべての女性の目標だとは考えていません。「ほしがいっぱい」になる瞬間は人それぞれだと思います。そんなアンチテーゼを持ちながらも神崎ゆう子さんが歌う『ほしひとつ』の文脈に感じ入ってしまうのです。音楽の力はやっぱり大きい。

2001/06/10

大城梨花&大城杏花のトワイライトコンサート

■6月9日(土)アスト津のギャラリーで大城梨花と大城杏花のフルートとピアノコンサートがあって行って来ました。会場は展示会などの多目的ギャラリーで、東側が床から天井まで全面ガラス張りとなっています。ギャラリーなので当然天井は高く、アルミの格子に区切られた窓からは津の街並みと伊勢湾が見渡せるという、それだけでキャンバスとよべるような空間でした。
■プログラムは、『愛のあいさつ』(エルガー)、『からたちの花』(山田耕筰)、『ひき潮』(マクスウェル)、『セレナーデ』(シューベルト)、『月』『想い』(大城梨花)、『熊蜂の飛行』(リムスキー・コルサコフ)、『亡き王女の為のバヴァーヌ』(ラヴェル)、『春をよぶ雨』『海に眠る』(大城梨花)、『ロミオとジュリエットからモンタギューとキャピレット、少女ジュリエット』(プロコフィエフ)、『革命』(ショパン)、『新世界より第2楽章』(ドヴォルザーク)、『ソナチネ』(サンカン)です。
■私は大城梨花のオリジナル曲がききたくて行きましたが、プロコフィエフの『ロミオとジュリエット』をプログラムに見つけてうれしくなりました。近頃またこのバレエ音楽を夜な夜なきいているからです。
■照明はギャラリー用のタングステンライトだけで、正面のガラス窓は時間とともに暗くなっていきます。
■大城梨花のフルートは常に高いテンションでコントロールされている音です。きいていてその緊張感と込められたメッセージがよく伝わってきます。とくに彼女自身の作品で生き生きと奏でられます。作曲も含めて、地方都市でこうして自分のペースで音楽活動を続けている音楽家は多くありません。敬服しています。
■大城梨花の作品はきくたびに“同時代”(コンテンポラリー)ということを意識してしまいます。今、同じこの時を生きる者のメッセージとして共感があります。彼女の作品は“癒し”ものではありません。うまくいえませんが、きく自分の中で“昇華”する何かがあるように感じます。
■『ロミオとジュリエット』は、ピアノがアップライトだったために音にならなかった音がたくさんあって残念でした。速いパッセージで鍵盤が戻らないのです。フルコンサートのグランドピアノでこの曲を弾くのは並大抵なことではないでしょうが、一度きいてみたいと思いました。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...