2010/12/22

緩和ケア病棟のクリスマス会

緩和ケア病棟のクリスマス会に同席する機会がありました。かつてはリハビリ用のプールだったというホールは天井まで続くガラスブロックを通して差し込む冬の日差しがやわらかく包み込んでいました。

患者さんは車いすやベッドで参加という方も多い中、自らサックスを演奏する方がみえました。「サプライズ!」です。3か月ぶりというアルトサックスはキーの動きがぎこちなくて、12月生まれの患者さんに贈る「A Whole New World」は途中からキーがずれてしまいましたが、キーを調整した後の「いい日旅立ち」と「Fly Me To The Moon」はプロの演奏の醍醐味たっぷりで素晴らしいものでした。緩和ケアにサックスを持って入院して、今日だけでなく病棟で演奏を続ける彼の姿に音楽が持つ力の大きさと深さをあらためて考えてしまいました。細い体で奏でる音楽のなんと力強いものだったことか。

病棟の廊下を帰るとき、開き放たれた部屋からバッハの「ゴールドベルク変奏曲」のピアノが聞こえてきました。CDなどを持ち込んでこうして毎日聴いているのでしょうか。私は緩和ケアで音楽療法を行うほどの実力も心の準備もなく、ただただ命の尊厳を思うばかりです。

そもそも緩和ケアでの音楽療法はどうあるものなのでしょうか。音楽は素晴らしいが決してオールマイティではないと考えます。音楽療法士は少なくともこのことを肝に銘じつつ、音楽に関するあらゆるアプローチを習得して臨床に臨むことが必須だ。いや、人と音楽への謙虚なスタンスがあって初めてセッションのスタートに着けるものではないのか。音楽を臨床の場で奏でる者は自分の音楽を押し付けるようなことがあってはならない。選ばれてこその領域であろう。

メリカントのピアノ音楽の楽譜が届きました。北欧、メリカントの音楽の透明感が今は身近に感じます。

2010/12/19

12月の日曜日のポコ・ア・ポコ

12月の日曜日のポコ・ア・ポコは 家族のみなさまに来ていただきました。今日も1歳半から16歳という幅広い年齢のお子さんでしたがいっしょに楽しめるところがミュージック・ケアの懐の深さです。今日は高校生も参加して「最近こんなに笑ったことがなかった」との感想をいただきました。いえいえ、あなたがそうして心を開いて楽しんでくれたからこそ今日のセッションがより密度の高いものになったのです。新しい年がよい年でありますようにとシャボン玉をプレゼントして終わりました。来年もよろしくお願いいたしますm(-_-)m
昨日は自宅の光回線の工事が終わって今日はLANの設定をしました。無線ルータは8年前に設置、「子機」は買い足してきた機材が混在していることから暗号化キーが何種類かあって、その見分け方がわからなかったのでなかなか難儀な設定となりました。わかってしまえばなんということもないので終わってから徒労感がどっと襲ってきました。無線ルータはNECのAterm WR8700N(HPモデル)で、光回線と相俟って文字通りの超速です。iOS4.2のダウンロードはiPadのとき9時間もかかったのがiPhoneではわずか50秒でした。容量は400MB余りです。何種類もの「子機」を接続しても難なく高速で通信する無線ルータは隔世の観があります。TVも接続可。一度知ってしまうと後戻りはできない。

2010/12/12

ATACカンファレンス2010京都

昨日からATACカンファレンス2010京都に行っていました。昨日は朝早く発ちましたが京都で用事を済ませて会場の国立国際会館に着いたのは3時を回っていました。セミナーはやっとひとつ出ただけでしたが、音声読み上げソフト「DAISY」の概要について知ることができ、また、Windowsの音声エンジンのデータを分けてもらうことができました。今日は「アルテク」(身近にあるテクノロジー)を活用した支援、シンボルを使った特別支援教育、iPhone・iPadアプリ作成などのセミナーとポスター発表のブースで密度の高い情報を得ることができました。

iPhoneとiPadはパソコン同様、ATACではすでに市民権を得ているように思いました。iOSのアプリは開発ツールをオープンにしていることやその直感的な操作も相俟って支援機器としてソフト面が充実してきています。iPhone・iPadには「これなら何かできそう」というメッセージを超えたアフォーダンスを感じます。1年後にはAndroidは多数派になっているだろうとしながらも総合的にどうかというところが支援の業界では支持されるという文脈の話があって共感するところでした。

iPhone・iPadアプリ作成は東京大学先端科学技術研究センターの大学院の授業3時間分を50分に凝縮したもので、飛び石のようにたどりながらもアプリ開発のプロセスのフローがよくわかりました。私は日常的にMacを使っているということで実機も操作することができて勉強になりました。

iPhone・iPadアプリの開発で興味深いエピソードを聞きました。アプリの開発は当事者たちといっしょに生活した中でないといいものはできないということです。この前段には開発には当事者を入れないという意外な話があったのです。別のセミナーでは、アプリは「そぎ落とすものが無くなった時が完成の時」ともありました。この言葉はサン・テグジュベリが『星の王子様』を書き終えたときのものとのこと。「機能が限られたアプリの使いやすさ」とも。「アルテクを活用した就労・就学支援に必要な3つの観点、テクノロジーによるエンパワメント、環境調整による困難の解消、コミュニケーションによる多様性理解、3つが揃って初めて継続的に合理的配慮が得られるようになる」(岡)との言葉に納得です。ツールはシンプルな方がよく、生活のストーリーの中で使いこなし甲斐があるというものです。

信州特別支援教育情報誌「slide」のスタッフは長野県の特別支援学校の教員たちで、「シンボルを使った教育の頂点見せます」というセッションは実に楽しく、充実した内容で頼もしく思いました。iPhoneアプリの「DropTalk」は彼らドロップレット・プロジェクトの作品です。このセッションで初めて知ったのですが、信州大学教育学部の「Picot on Web」というコミュニケーション・ツールはドロップの前身とのことで驚きました。「Picot」は私が養護学校(当時)で担任をしていた頃のツールのひとつでした。「Picot」のさらに前身は1993年のコミュニケーション・シンボルとのことですからかれこれ20年近くもの開発の歴史があるといっていいでしょう。だからこそドロップが生まれ得たと思います。彼らのセンスとユーモア溢れるセミナーは特別支援学校の教育力の底力があってこそのもの。実に心強く思いました。

ATACカンファレンスは参加者が以前ほど多くはなく、支援機器の展示も少なくてさみしい一面もありましたが、参加者の意識がたいへん高いことは肌で感じるほどでした。身銭を切ってしか得られないものは必ずある。

2010/12/04

「三重子どもの心ネットワーク」第1回会議

この木曜日は「三重子どもの心ネットワーク」(Mie Child Mental Health Network)の第1回会議に行って来ました。「会議」なのに「行って来た」とは130人もの参加があってもはや会議とはよべないほどのスケールだったからですが、この「会議」の意図するところは英語のconferenceですね。当日は「問題行動が起きたときの相談窓口とその連携」と「思春期児童生徒の問題行動への取り組みの現状と課題」の2部構成で、亀山市子ども総合センター、三重県教育委員会生徒指導・健康教育室、三重県警少年サポートセンター等々からの報告はこれまでにないコンビネーションでした。今の子どもたちが置かれている状況が浮き彫りにされました。発起人は児童精神科のドクターたちで、これまでにないアクションだと思っています。子どもたちを救うための新たなフレームワークが立ち上がろうとしているように思います。そして、この会議に参加した人が130人もいたことを少なからず心強く思うのです。子どものメンタルヘルスは国家的課題ですが、そもそも子どものメンタルヘルスは個別の課題ではない。この日、特別支援教育のフレームが表立ってなかったことについては、特別支援教育はあらゆる場で誰もが配慮すべきものであるという特別支援教育本来の趣旨からするとむしろ望ましいものと捉え、これからの推移を見守りつつ意見して参画していきたいと考えるところです。
未明に目が覚めてそうだと思って探したもの、それはiPad用のテキストエディタでした。EvernoteのiPad版がテキストの「追記」しかできなくなっていて私の使い方に合わなくなったこと、そして、iOS4との相性がよくないのか上下のバーを除いてまっ暗になって、つまり、フリーズしてアンインストールと再インストールを繰り返すというトラブルに見舞われているからです。フリーズはそのうち解決されることと思いますが、シンプルに書く機能を追求したアプリが便利だと気づいた次第です。ネットで調べると同じようなことを考えている人が少なくないようでiPad用のテキストエディタはとりわけこだわりものがいくつかありました。しばらく幾思案となりますが、iPadは日々実用度を高めてきています。
新しい無線LANルータの発送メールが届きました。光回線への切り替え前にセットアップしようと考えています。光回線になると「超速」になるのかな? ここまでの経緯で???だったのは、自宅区域が光回線に切り替えられた頃からADSLの速度が実用にならないほどに低下したことです。これが戦略だったらいかがなものか。ベストエフォートは結果でありスケープゴートにされるものではない。

2010/11/27

SUPERSTAR CHRISTMAS

コルジリネの寄せ植えを作りたくてポットを調達に行ったホームセンターで、サンタクロースと雪だるまの土に差すオーナメントが目に入って聴きたくなったのは「SUPERSTAR CHRISTMAS」でした。ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス(War is Over)」から始まるアルバムです。昨年はなぜか1回も聴かなかったように思います。このアルバムを聴く車は静かに滑るように走るのがいい。夜、見慣れた街並が遠いところに来たように見えました。

2010/11/24

iPadのiOS4

iPadのOSがバージョンアップしたことを知って昨日は未明からダウンロードを始めたところ、なんと8時間の表示が! しばらくすると表示は9時間となって、まさかと思いましたが、ほんとに8時間かかりました。サイズは551.4MBで、それでもトラブルなくインストールできたことの方がもっと驚きました。このことがあって光回線への切り替えを決めた次第。ただ、肝心のiOS4の新機能の恩恵はさっぱりわからず・・・
夜、緩和ケア病棟の音楽療法の映像を観ていろいろ思うところ、考えるところがありました。音楽療法のセッションでは音楽以外の要素も少なくありませんが、音や音楽そのもののクオリティはやっぱり高くあるべきと思います。音楽そのものにもっと重きをおくべきと考えます。このことはまた・・・

2010/11/21

11月の日曜日のポコ・ア・ポコ

11月の日曜日のポコ・ア・ポコは12家族のみなさまに来ていただきました。今日は出足が早くて始まる15分くらい前から広い会場はまるで保育所のようでした。思い余って泣き出す子もいて、いつもとちょっとちがうなと思っていました。セッションも時折そんな場面があって、そうそうと思い出したことがありました。それは小学校の教室の毎日そっくりです。仲良しでも互いの思いがぶつかって、許せないことがあって、時にけんかもしながら成長していくのが子どもです。帰り、車の中で気づいたことがありました。特別支援学校に勤務するようになって知った小学校とのちがいのひとつです。障がいのある子どもたちは指示が通りにくいことから、そのこと、指示が通ることが指導の目標になりがちです。安全上からの必要もありますが、指示が通るという考え方は、子どもはおとなのいうことをよく聞き、思うようになるのがよいとされる方向に流れがちです。でも、実際はちがう。障がいのあるなしにかかわらず子どもはおとなの思うようにならないものです。指導は大事で必要ですが、最終的に自己を育てるのは子ども自身です。昨日の記事にある日本評論社の「こころの科学セレクション」のシリーズで、中根晃編集『自閉症』(1999)に小林重雄氏がこう書いています。「自閉症児が親の指示にも従わず勝手にとびまわる多動の時代をすぎて、指示にもよく従う状態に達すると、担当教員も親も一安心するものである。そのまま自発的行動がまったく消失してしまう状態に進んでしまうことをロボット化と言う。ロボット化は社会的自立を目標にする限り、教育の失敗と言える。しかし、重度の例では施設などで継続的に密度の高いケアが可能であれば、むしろ安全性が高いとも考えられる。しかし、これはインクルージョンの考え方と逆行するものである(小林、1999)。」この部分は初めて読んだときからずっと“ブックマーク”していたところです。障害のあるなしにかかわらず、子どもが育ち成長するということ、おとなになるということは、自己調整ができるようになるということともいえる。この考え方なくしては子どもは育たないと私は思う。過日の全国病弱虚弱教育研究連盟研究協議会(三重大会)で私が参加したオプションセミナーの内容はまさにこの視点がテーマでした。赤ちゃんとお母さんとのやりとりの実験のビデオの中で、お母さんがまったく反応しない場面では赤ちゃんが自分から視線をお母さんからはずして自分の手を見ることがあって、それは「情動調節行為」とのことでした。こうした経験が自己を育てることにつながり、また、一線を越すことで疾患にもつながると考えられます。子どもは決して右肩上がりばかりで育つものではない。ところが、障がいがある子どもの教育ではこの視点が忘れられがちになってしまうことがあるように思います。指示が通ることがゴールのすべてにされがちではないでしょうか。子どもは思うように育たないが子どもは環境に育てられるものと思います。大切なのは子どもの自己調整力を育てる視点です。自己調整力の獲得はポコ・ア・ポコのセッションが目指しているゴールのひとつです。おとながゆとりをもって子どもたちを見つめる空間であってほしいと思っています。

2010/11/20

本2題

ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で8年ぶりの1位で優勝した萩原麻未のピアノをニュースで聴いて、これはただごとではないと思いました。ラヴェルもすごかったがシューマンの「子どもの情景」の澄んだ音もなかなか聴けないものでした。曲の解釈というより音楽としてどうあるのかを真っ直ぐな感性で求めるような演奏です。今の若い感性だと思う。某紙の見出しの「リアルのだめ」に膝をポンと打ちたくなりました。ウェットでないところがいい。均整のとれた永く聴ける音楽が奏されることを期待しています。ニュースのインタビューに応える萩原麻未のバックがけっこう田舎のように見えて、あれはジュネーブなのだろうかと思っていました。
辻邦生『西行花伝』(新潮社 1995)が届きました。ハードカバーで手もとに置きたいと思って探していた本です。Amazonのマーケットプレイスではすでにコレクターのカテゴリーでとても手が届くものではありませんでした。届いた本は青森県の古書店からで、インターネットのおかげでこうしたニッチな買い物ができるわけですが、旅先の古書店で見つけるのが絵に描いたような出会いでしょうか。辻邦生は機会があれば少しずつ集めておきたい作家です。
日本評論社の「こころの科学セレクション」は第一線の研究者の文章を集めたシリーズで、ひとつのテーマを多角的な視点から読めるところが内容からもお得感があります。同シリーズの『子どもの精神障害』も然り。内容は精神疾患だけでなく、自閉症や知的障害、不登校、ひきこもり、非行など、思春期を中心として社会的な課題として今後ますます取り組みが求められるテーマが取り上げられています。発行が2002年ということも考慮しながらですが、目の前の事象の深みに入り込みがちな状況を見つめ直す視点を与えてくれる1冊です。メンタルヘルスが国家的な課題になりつつあるように思っています。
今夜はジョン・ルイスの「バッハ プレリュードとフーガ vol.1」を静かに聴く。

2010/11/14

不思議な出来事

昨日、吉野まで行って来ました。紅葉狩りというほどのこともなかったのですが、県内のR166沿い(旧飯南郡)の紅葉はとてもきれいでした。吉野に着いたのは午後3時過ぎで、ケーブルで上ってしばらく散策しました。茶店で休んだとき、腕時計を見たら日付が20日になっていて驚きました。それは夏に買ったばかりでそうそう早くこわれてはたまらない。日付を直すときにレトログラードの曜日の表示もおかしくなっていて、針はぐらぐらしていました。慎重に直したものの少なからずショックでした。しばらくしたらまた日付が23日になっていてほとんどあきらめの心境でした。ところが、家に帰って今朝になると、日付や曜日の表示がくるっていないばかりかどことなく確かな印象があるのです。どうして吉野で日付がくるったのか? “パワースポット”の為せる現象なのかと思ってしまいました。私の五感はとくに反応なしでしたが。
玄関先のビオラが元気がなくて植え替えをしました。素焼きのポットに植えたビオラは全部しっかり大きくなっているのでポットの素材も関係しているのかも知れません。ところで、この夏の猛暑で全滅状態だったインパチェンスのポットをそのまま脇に置いて水もやらずにいたのですが、今月に入って濃い緑の葉っぱがびっしり出て花が開き始めていることに気づきました。これはどうしたものかと、今日は、固形肥料を置いてしばらくビオラの代わりに玄関先を任せることにしました。地上部分は枯れていたはずなのになんという生命力か! この夏は暑さと乾燥に強いはずのオレガノ ネオンライトも枯れてしまうほどだったのに、そのとなりの暑さに弱いはずのクリスマスローズはしっかり耐えてこれも驚きました。植物は地植えにすると本性が姿を現すのかも知れません。ワイヤープランツもとんでもなく増えて困りものです。増え過ぎると抜かれてしまうのが狭い庭での宿命です。
植物でちょっとおもしろいのがパンパスグラスです。とにかく大きい。でかい。高さは軽く2mを超える。株もかかえられないくらい。メーンクーンのしっぽみたいな大きい穂が光ってとてもきれいだ。私がパンパスグラスを初めて知ったのは4年前の夏、聖路加病院の隣りの公園でした。その大きさに驚きながらもどこかしら痛快な印象で写真に撮りました。これがその写真です。聖路加病院のマークも入れたくてこのアングルなのでそう大きくは見えませんが大きいのです。
Pampasgras20060820

2010/11/11

ジャスミンティーと全病連と『西行花伝』

ここしばらくジャスミンティーばかり飲んでいます。今日はホテルに缶詰の出張なので2本持って行きました。この近辺で手に入るペットボトルのジャスミンティーの種類は限られていて、しかも私のお気に入りの銘柄はなぜか限られた遠くのコンビニしか置いてないのでネットでまとめて注文した次第です。そのジャスミンティーは、先月、高速バスに乗る前に池袋駅東口のコンビニで初めて買いました。一口で私のモードが変わってしまうくらいの驚きがありました。ジャスミンティーはこんなにおいしかったのだろうか。それとも私の感じ方や体質が変わってしまったのだろうか。それがハーブの力なのだろうか。しばらく飲み続けることでしょう。
今日は全国病弱虚弱教育研究連盟研究協議会(三重大会)に出席しました。この会は学校教育系ではめずらしい学会形式で、限られた日程で数多くの報告を知ることができる合理的な運営です。内容は凝縮されていて心地よい緊張感がありました。子どもたちの姿が浮かんでくるような臨場感もありました。ほどよく象徴化された内容は普遍性をもつものです。子どもたちの困難感の真の意味を正しく理解するためのトレーニングをしているかのようでした。夕刻から始まったオプションセミナーの会場はスライドと部屋の明るさを調整するためにカーテンを開けました。レース越しに夕日が見える中で聴く心理学のレクチャーは時間を超えた空間のように思えました。
一昨日、辻邦生著『西行花伝』(新潮文庫 2001)が届きました。700ページを超える文庫本です。1ページ目の冒頭を読みかけて思わず目をそらしました。それはあまりに美しく芯のある言葉。よく知っているはずなのに時として思いがけず心の奥まですっと入って溺れてしまうような感覚におそわれる文体です。私が初めて読んだ辻邦生の著書は『背教者ユリアヌス』(中公文庫)でした。全3巻の第2巻だったか第3巻だったか、発売の日に待ち切れずに昼休みに街中の書店まで買いに走って午後の授業は間に合わなかった。高校3年間で1回の欠課の理由です。しばらくぶりに浸る辻邦生は『西行花伝』です。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...