■音楽療法の研究会、三重ミュージック・ケア研究会を立ち上げることになりました。いろんないきさつから私が代表となってしまってあたふたとしています。
■音楽療法の技法はいくつかありますが、ミュージック・ケアの技法は何といっても教育的です。技法習得のメソッドも見通しがはっきりしているように思っています。私はノードフ・ロビンズ創造的音楽療法も心理療法的アプローチとしてたいへん有効だと思っています。いろんな技法を正しく習得することが音楽療法士にとってとても大切なことです。ミュージック・ケアの技法はこれまで三重県で研修する基盤はありませんでした。三重ミュージック・ケア研究会はその役割を担ってミュージック・ケアの技法と理論を正しく伝えることを使命としていきたいと考えていま。
■今日、三重県厚生事業団いなば園主催の第2回音楽療法セミナーがあり、日本ミュージック・ケア協会会長の宮本啓子先生のセッションと講演がありました。参加者は200人を超えて、音楽療法のニーズの高まりを目の当たりにした思いでした。宮本啓子先生のセッションは、うーん、すごい!と、ただただ、感じ入るばかりでした。松浦千賀先生のピアノと歌、そして新聞紙を使ったプログラムもすばらしいものでした。
■その場で三重ミュージック・ケア研究会へのお誘いの話をさせていただいたところ、45人のみなさんから返事をいただきました。予想をはるかに超える反響です。できるだけ早く日本ミュージック・ケア協会の総合研修を三重県で開き、正しいメソッド習得のための研修を行わなければなりません。また、お互いの技法の確かめと深め合いのための研究会の場を毎月もてるように、ポコ・ア・ポコの日曜日開催も計画していきたいと考えています。
■三重ミュージック・ケア研究会のホームページはこちらです。コンテンツはこれからですけどね…m(-_-)m
■今回、三重ミュージック・ケア研究会のホームページはgeocities.co.jpの無料サービスを利用しました。ディレクトリはHertLandの大通りです。1つだけ“空き家”がありました。URLがシンプルになってうれしい!
2003/02/23
三重ミュージック・ケア研究会
2003/02/20
連続するADHDとLDとHFA
■昨夜は鮭チャーハンを作ってみました。鮭は予め焼いてほぐしておきます。みじん切りのタマネギを油で炒めてネギも軽く炒めます。卵を割って入れてすぐご飯を入れます。あとはよく炒めて鮭と鶏がらスープを入れ、水気がなくなったらできあがり! これがおいしい!
■私はネギをよく使います。ラ・ベットラ・ダ・オチアイ(東京銀座3丁目)でトマトソースのパスタにチャイブが入っていて、その香りと彩りがトマトソースをきりりと引き締めていました。チャイブは庭に植えたもののなかなか殖えないのでネギを使っています。ネギはチャイブに比べてより味わい深さがあるように思います。
■今日、TEACCHの研究で知られている佐々木正美先生の講演を聴きました。演題は「自閉症/広汎性発達障害とバリアフリー~視覚的構造化と意味のあるコミュニケーション~」です。レジュメのテーマは「注意欠陥多動性障害ADHD、学習障害LD、高機能自閉症HFA」とありました。演題と異なる内容かと思っていましたが、佐々木先生の冒頭の言葉でその意味がわかりました。ADHDもLDもHFAも連続体だというのです。私が個人的に子育ての相談を受けているケースも、診断がADHDでも自閉症でも親が困っていることの中身は共通するところがあるのです。(ちがいはもちろんあります。)ADHDもLDも自閉症も、脳内の情報伝達の不具合が関係しているらしく、症状に共通点があることは想像できます。診断は大事です。でも、診断名が出たからといってその子どもが必要としている支援の具体的な内容がマニュアル通りすぐ決まるわけではない。その子の文脈を読んだ上で個別の支援の内容が決まってくる。もちろん、保護者といっしょに考えて合意していくことだ。今、親が何を困っているか、将来こうあってほしいという願いをきちんと理解して支援の内容が決まってくるのです。
■それにしても、自閉症スペクトラム障害の人たちへの理解の何と進んでないことか。他人のものの感じ方を理解することは難しい。自閉症スペクトラム障害の人たちのものの感じ方は尚更だ。でも、それを理解できなくては何事も進まない。(今日はこれくらいにしておきます)
2003/02/14
QOL
■自宅で使っているオーディオシステムはソニーのPixy初代モデルで、もう15年も前のもの。CDのトレースがこの頃ミスるけど音のやわらかさがなんともいえないくらいホッとする。
■大学生の頃、京都の名曲喫茶によく行ったものだ。“リチェルカーレ”という喫茶店はとりわけ思い出深い。タンノイのスピーカから流れるのはモーツァルトまで。ベレー帽をかぶった年配のマスターは当時70歳くらい。私が大学を卒業して1年後に行ったら“リチェルカーレ”はもうなくなっていた。3年くらいで店を閉じたことになる。とても残念に思った。ATACカンファレンス京都2002に行ったとき泊まったホテルの近くに名曲喫茶“シンフォニー”があったはずだがなくなっていた。ショパンの“フランソワーズ”は今もあるのだろうか。東郷青児の原画があるあの店、名前は思い出せないのだが、あの店は残っているのだろうか。
■私が大学に入った70年代末、学生運動はすでに終わっていた。高野悦子さんがよく行った“しあんくれーる”にも行ったが普通の喫茶店だった。樺美智子さんが日米安保条約改定に反対して国会前でデモに参加して亡くなったのは1960年。『人知れず微笑まん』をむさぼるように読んだのも、時すでに20年近く過ぎた頃だった。ビートルズも“終わって”いた。私があこがれた大学生活はそこにはなかった。5月病になった。だけど、そのことで実感したハングリー・スピリッツは片時も忘れたことがない。これからも私のモチベーションを支えてくれるのはそのハングリー・スピリッツだと思う。
■『ビリーブ』のアレンジ&打ち込みの仕事が入った。『ビリーブ』はいつか打ち込みをしたいと思っていた曲です。納期は来週早々なので打ち込みには実質1日しかない。でも、ある程度のイメージはあるのでそれなりのクオリティは確保できる。XGシステムが頼りです。
■勤務先の養護学校で医療的ケアがニーズの子どもたちが増えています。来年度は小学部の3分の1の子どもたちが医療的ケアをニーズとしています。障害のあるなしに関わらず、QOL(Quality Of Life)ということを考えてしまうこの頃です。
2003/02/10
インフルエンザ
■不覚にもインフルエンザにかかってしまいました。10年ぶりだ。しかも病院が一斉に休診の木曜日の午後から発熱という最悪のパターンで、翌朝、病院で検温したら39.9℃だった。検査するまでもなくインフルエンザとの診断で、シンメトレルなどの薬を処方してもらいました。このシンメトレルは40年以上も前に作られたパーキンソン病の薬で、A型のインフルエンザに効くとのこと。ドクターの言う通り、48時間後の日曜日の朝には平熱に下がっていました。しかし、菌の放出は翌日まで残るとのことで今日まで仕事は休みとなりました。熱がこれだけ高いとずいぶんしんどくなるかも知れないと思いましたが、頭痛の他はこれという目立ったこともなく、むしろ、ふだんよりも旺盛な食欲に驚いたくらいです。体温を上げてウィルスをやっつけようとするにはそれだけエネルギーが必要なのでしょう。
■やはり10年と少し前に水疱瘡にかかったときは、大人なので治るまで2週間かかると言われて、病院の帰りに本を10冊ばかり買い込んで読書三昧をしました。そのときは2日に3冊というペースで読んだ。何のために仕事を休んだのかわからない。今回もただインフルエンザにやられっぱなしになるものかと意気込んではみたものの、そうそう好きなことができたわけではありませんでした。いくつか懸案となっていることがあって落ち着かない毎日でした。
■そうはいっても息抜きは必要で、買ってからまだ1回も通してみたことがなかった映画『アマデウス』のDVDをやっと最後まで続けてみることができました。私にとってのモーツァルトとの出会いはピアノ協奏曲第20番二短調でした。高校1年のとき、ピアノはアンネ・ローゼ・シュミットでした。『アマデウス』はこのニ短調のピアノ協奏曲で終わっています。なんとなつかしい! 宮崎駿の映画『耳をすませば』もみました。野見祐二の音楽に久しぶりにひたる。本も再読ものでした。司馬理英子『のび太・ジャイアン症候群』シリーズ(主婦の友社)の2と3で、障害を連続したものとしてとらえて、子どもを分析しながらも全人格的にとらえるみ方に大いに励まされた次第です。支援はきめ細かく、かかわりは子どものすべてを受け容れて!
■梅のつぼみがほころび始めましたね。今日は風もないけど日差しもあまりなくて、でも、そんなに寒くもない。冬枯れの木々たちが明るい灰色の空に枝を伸ばしています。その枝はかすかに動く気配もない。春一番も待ち遠しいけど、春一番が近いことを感じながらもこうしてひたすら静かなひとときを過ごすのもまたいいものです。こんな時ききたくなるのはグールドのバッハです。『リトル・バッハ・ブック』をきいています。
2003/02/02
松阪シティ・マラソン
■2年ぶりにレースに出ました。マラソンです。今日、地元の松阪シティ・マラソンで10キロ走ってきました。松阪シティ・マラソンは第1回に出て以来なので今回の第5回が2回目です。リハビリのつもりなので制限時間70分いっぱいかかるくらいでと思っていましたが、出だしがちょっと速くてキロ6分のイーブン・ペースで走ってしまい、自分の時計で1時間0分26秒でした。このくらいのゆっくりペースで走ると体の状態がよくわかります。右足首と左脚の付け根あたりの関節に違和感があって、走り終わったら両膝下が腫れているのがわかりました。久しぶりのレースでアイシングの用意を忘れていたので冷えたミネラルウォーターのペットボトルを押し付けてアイシングをしました。いちばん感じたことは筋力がかなり落ちていることです。昨年は背筋が弱くなって椎間板ヘルニアの症状が出たし、今日は大腿四頭筋が弱っていて膝下が腫れた。そういえばこの頃ウエイト・トレーニングをしていない…!
■ゲストに有森有子さんが来ていました。アップの体操をリードする有森さんの身のこなしのなんときれいなことか! また、中学生がまともに体操をしないのをきっちり指摘するときのはっきりした言葉がけのトーンにも“一流”の人を感じました。ストレッチを一通り済ませてから「あとは自分が気持ちいいと感じる体操をしてください」と言う言葉にもうなずけました。
■家に帰って、急に思い立って「おかあさんといっしょ」のマイ・ベスト・アルバムを作りました。この頃、クラシックをきいていたかと思うと突然ロックをヘッドホンでガンガンきくし、自分でもこれはかなりアヤシイと思っている。今日は「おかあさんといっしょ」だ。
■マイ・ベストは、「オープニングテーマ」(現行)*「にじのむこうに」*「あ・い・う・え・おにぎり」*「公園に行きましょう」*「てをたたこ」*「シアワセ」*「アイアイ」*「5匹の子豚とチャールストン」(神崎ゆうこ)*「モウモウフラダンス」*「ブレーメンのおんがくたい」*「おかあさんといっしょのトルコ行進曲」*「おーい」*「すてきなことば」*「ハオハオ」*「いちごはいちご」*「にじのいろとおほしさま」*「夢のなか」*「ちいさなおふね」*「星ひとつ」(神崎ゆうこ)*「うたうクジラ」*「ないてたらね」*「ふゆのプレゼント」の22曲で、タイトルは「ふゆのプレゼント」かな… こうして選曲して曲順を決めるのはむずかしい! とりあえず好きな歌をセレクトして43分余り、通勤ドライブでCDをあれこれ入れ換えることもしばらくないでしょう。
■またくどい話になるが、どうして「おかあさんといっしょ」かというと、なんといってもおもしろいからです。きき応えがある。いろんな音楽の原形のエッセンスがきちんと生きている。仕事で必要なこともあるのですが… 「おかあさんといっしょ」の歌は音楽的にも高度な技法で作られているので単純に幼児向けとするにはもったいない魅力があると思っています。「おかあさんといっしょ」の音楽について学術論文が書けますね。また、シンセの打ち込みをしていてもすごくおもしろい。そうそう、「おかあさんといっしょ」のシンセの打ち込みでいちばん困るのはギターです。あのファジーな奏法を機械的に再現するのは至難の業だ。
■刺身を切るのに包丁を砥ぎました。砥石で砥いでいます。これがなぜかおもしろい。ただ砥ぐだけに見えるが奥が深い。夢中になってしまう。刃先を砥石に当てる角度や力の入れ方が微妙にちがって砥ぐたびに切れ味がちがう。うまく砥げたときは包丁が野菜や肉にすいつくように入るが力は要らない。もちろん料理をしていても気持ちがいい。そうして料理をしていると一日の疲れもどこかに行ってしまうのだ。この頃、テーブルのアレンジにも興味が出てきています。そして写真に撮る!のが夢かな…
■昨日は新聞の切り抜きに半日使ってしまいました。英国ブレア外交についてなど、興味深い記事がたくさんありました。
2003/01/30
「揺れ動く心はもっと美しい」
■この寒波で水曜日の朝は一面の雪化粧でした。D30のバッテリーをフル充電して出勤。でも、写真を撮る時間がなくて残念!
■モーツァルトの音楽を「疾走する悲しみ」といったのは誰だったのだろう。そんなドグマの引力に抗しながらきくモーツァルト….。小澤征爾が振るモーツァルトは確固たる構造をもちながらもはかないくらい美しい。高校~大学と、モーツァルトばかりきいたときがありました。この日曜日の朝、小澤征爾が指揮するモーツァルトをテレビできいてモーツァルトは私にとって音楽の原点だと思い返した次第。
■「モーツァルトは歩き方の達人であった。」と書いたのは小林秀雄だ。高校の実力テスト、国語のテストの問題文がこの一文で始まっていて私の眼はそこに釘付けになってしまいました。こんなふうにモーツァルトを書けるのか! 衝撃的な一文でした。歩くことの理想は歩いていることを意識しない歩き方だ。そんな歩き方でモーツァルトは音楽を綴ったという比喩が瞬時に腑に落ちるものを私はモーツァルトの音楽に感じていたということになります。
■池辺晋一郎の『モーツァルトの音符たち』(音楽之友社2002)はモーツァルトの音楽の魅力の仕組みをわかりやすく説明してあっておもしろい本です。モーツァルトはやりたい放題やったんだなぁと思う。なんというアイデアマンだ。
■小澤征爾の音楽作りでうまい!と感じたのは、彼が描いている音楽のイメージをオーケストラのメンバーに伝えるときの言葉だ。こんな感じ、ということを喩えるうまさだ。ただ、文学的なウェットな表現ではない。奏法に直結する比喩である。もちろん、指揮そのものがすばらしいのは言うまでもないのだが、言葉でイメージを共有することは音楽でも大事だ。
■こんなことを思うとき、ふと取り出す本があります。井上直幸の『ピアノ奏法~音楽を表現する喜び』(春秋社1998)です。ピアノだけでなく音楽における表現のエッセンスをバランスよく説いています。奏法や解釈だけでなく音楽の感じ方についても書いているところがいい。どんなにうまい演奏でも音楽の感じ方がしっくりこなければきけたものではない。演奏家の感じ方がしっかり伝わらない演奏はそもそも音楽とはいえない。
■音楽を療法的に使うときも同じで、特定の曲をただ使えばいいというものではない。クライエントとセラピストとの双方の文脈がからみ合って望む新しい文脈をつくり出す音楽活動にするためには音楽を相互的に意図的に使うことが必要であり、それは演奏家として成功することとはちがう要素が必要なのだ。しかし、真に優れた演奏には優れた療法的な作用もあることもたしかである。
■モーツァルトは好きだ。でも、私はロックもジャズもきく。クラシック音楽は基本的に平均率とドミナント・エンジンの音楽です。それもいいがもっとちがうモードの魅力も同じくらい感じる。
■ジミー(幾米)の『君のいる場所』(小学館2001)の冒頭にこんな詩があります。「二人は信じる/求める気持ちが出会わせたのだ/信じあう心は美しい/でも揺れ動く心はもっと美しい」(ヴィスワヴァ・シンボルスカ「恋」より) そう、「揺れ動く心はもっと美しい」…コンテンポラリーということ、同時代、今、この一瞬をいっしょに生きているということの重みは何ものにも換え難いものなのだ。小澤征爾が振るモーツァルトもロックもこの意味で私には同じだけ大事なのだ。
■ロックといえばモントルー・ジャズ・フェスティバル2002のジョー・ストリアーニの『Mind Storm』にぞっこん! テンションは高いがとてもクールで知的だ。昨年のモントルー・ジャズ・フェスティバルではフラメンコとボサノバのエッセンスが効いたジョアン・ボスコと、ゲイリー・バートンと小曽根真との息詰まるようなセッションがききものでした。
2003/01/25
うーん、と唸るあれこれ
■この頃、仕事でEOS D30を使っています。画像は情報たっぷりなデータでうーんと唸ってしまいます。そしてボケがすごくきれいだ。レンズは今のところEF50mmF1.4とEF20~35mmF3.5~4.5を使っています。当然ながら単焦点の方がきれいです。といっても、いちばん気になるのはブレです。カメラブレも被写体ブレもあります。室内でノーストロボで撮るからシャッタースピードは1/60~1/15だ。手持ちだからブレない方がおかしい。パソコンのモニタでピクセル等倍で見ると、あー、なんだこれは(>_<)というブレ! 銀塩でもブレていたはずだがそんな見方をしないから少々ブレていても気にならなかっただけかも… ISは広角~中望遠の単焦点や超広角にも搭載するべきだと思います。仕事では大判に伸ばすこともないのでブレにそう気をつかうこともないのですが、ISOを抑えながらもできるだけ速いシャッターを使いたい。ボケもきれいだから。となると明るい広角単焦点レンズがいい。D30は300万画素ということもあって解像感はいまひとつですが情報たっぷりなデータだからこそ「作品」を創ることができるし、ほどほどのデータ・サイズなので取り回しもストレスがありません。コダクローム・ライクな画像はメモカメラとしてもおもしろい! というわけで最新型が買えない私はD30を使い続けています。とにかくお金がかからないしね! 一眼レフ故の操作感もマニアックでいい!
■マニアックといえばグランド・ピアノもそうだ。デジタル・ピアノもハンマーアクションならとても弾きやすい。よく調整されたグランド・ピアノが弾きにくいと感じることがあります。だけど、それはグランド・ピアノの表現のキャパシティーを活かしきれない指になってしまっているだけだ。そんな時、グランド・ピアノで基礎練習をすると指から腕の神経やら筋肉がピシピシと音を立てて頭カーッと熱くなって覚醒水準がパッと上がる感じになる。デジピを弾いても断然ちがう! 音の立ち上がりや強弱のバラつきが格段に減っているしリズムも正確だ。和音の各音のバランスもとりやすい。ここ2日、仕事でグランド・ピアノを弾くことがあってまたまたうーんと唸ってしまった次第!
■アンドリュー・ロイド・ウェッバーの『CATS』のビデオを久しぶりにみました。ロンドン・オリジナル・キャスト版で、私はニューヨーク版の方が好みなのですが、ロンドン版は『CATS』の“原形”がきけるところがいい。アメリカのアートは原形+αの部分、付加価値の付け方がうまい。ときにそれは商業的になり過ぎるが素材が輝きを増すことは事実だ。それはそれとして、アンドリュー・ロイド・ウェッバーの音楽はやっぱりすごい! 音楽が物語っている。彼の「モード」があるのだ。彼の語り口調がある。だが、彼ののイマジネーションをかきたてたのはエリオットの詩だ。うーん、こんなところにイギリスの時間の流れの長さを感じてしまいます。
■メガネを作りました。10年くらい前のデザインの大きなレンズのセル・フレームです。レンズが大きいと視野が広いので楽です。デザインの古さはかえって新鮮です。色は茶系。やっぱりこれだな…うーん!
2003/01/19
音楽もワインも原形に注目したい
■日付が替わってしまった。今日というか昨日、日曜日は夜9時に帰って音楽療法の研修会のレポートを2本書きました。私のレポートはどうしても私見が入ってしまいます。大学に入学して早々のレポートに私見を書いたところ、評価は「下々々」で「君の意見を求めたのではない」とのコメントがあって、自分の大学に幻滅した苦い経験があります。だけど単位は必要だからその後は教授お気に入りのレポートを機械的に書きましたが、どうして私見を入れてはいけないのか未だに理解できません。今回、このレポートで合格するのだろうか…
■この頃寒いのか暖かいのかよくわからない毎日ですね。朝の冷え込みは相当なものだけど日中は頭がボーっとするくらい暖かい。雪はちらつくけど積もらない。小さな頃、冬はもっともっと寒かったように思う。川に1cmくらいの氷が張ったものです。伊勢道玉城インター近くの松下電工の工場はまるでビオトープで、薄氷が張った水辺は清冽そのもの。写真に撮りたいスポットのひとつです。
■金曜日にNHK-ETVで「地球時間・ジャズⅡ」を見ました。ジョン・コルトレーン~マイルス・デイビス~ウイントン・マルサリスの変遷を追ったもので、あらためてウイントン・マルサリスの存在の大きさを感じました。
■先週はNHKの「おかあさんといっしょ」の『うたうクジラ』ばかりきいていました。ボサノバのギターはガット弦です。そう、音楽療法のセッションで使うアコギはガット・ギターがいいと思う。
■昨日今日と車できいていたのはドクター・Kの『Feed Back』です。ベンチャーズ・フリークたちのライブ盤で、名実ともに競演だから気合いも十分、アップ・テンポの最高のテンションでエレキを弾きまくる! 癒し系とは対照的な音楽作りです。私は好きです。先週きいたモツレクも同じです。テンションのコントロールが音楽療法のキーワードのひとつです。そうそう、私がどうしてロックをきいてしまうのかというと、たぶん、それはいろんなモードの引力故です。平均率と「ドミナント・エンジン」にどっぷりつかっていると違うモードがほしくなるのでしょう。きっと明日もききます。そういいながら今夜はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をきいています。ピアノはアシュケナージ、オケはハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団です。
■WHOのサイトのICFに日本語版がなくて困った! “ 障害”をどうとらえるかという支援の原理にまたこだわっています。そして、「相互障害状況の克服」という考え方に共感しています。
■ワインを飲みながらキーを叩いています。酸化防止剤無添加の赤ワインです。美味いぞ! これこそワインの原形だと思う。
2003/01/13
モーツァルトのレクイエム
■みえ県民文化祭オーケストラの祭典でモーツァルトのレクイエムをききました。オーケストラは伊勢管弦楽団、合唱は“うたおに”と“ヴォーカルアンサンブル《EST》”そして“epoca”です。
■よかった。ほんとによかった。至高の体験といっていい。
■レクイエムは伊勢管弦楽団の音楽監督兼常任指揮者の大谷正人さんが指揮をしました。私もかつて伊勢管弦楽団のメンバーでしたが、弦だったので自分の団の本番をきくという機会はありませんでした。入団前の第1回演奏会(1981)をきいているだけで今日は2回目でした。観客としてきくと大谷正人さんの音楽の魅力をただただ堪能することができます。音楽療法の活動を始めたので伊勢管弦楽団の団員としての活動はできませんが、大谷正人さんの音楽はずっときいていきたいと思っています。
■それにしても今日きいたモツレクは何だったのだろう。いちばん印象的だったのは曲の終わり方だ。あんな終わり方はきいたことがない。曲は終わったのだが終わった気がしない。きく者に何か大事なメッセージをふっと投げかけたのだ。それまできいてきた曲のすべてがその一瞬に凝縮されてめくるめく無数のページを心に作る。曲はそれだけでとらえられるべきものだが、ふと、死の床のモーツァルトの想いに触れたような気がした。しばらく他の演奏はきけないと思いました。
■大谷正人さんはスコアもタクトも使わずに指揮台の上で全身で“表現”していました。彼がつくる空間は音楽療法のセッションの空間と似ています。
■今日の午前中は音楽関係の資料の整理で終わってしまいました。研修会の資料とメモ、楽譜などがファイルのあちこちにあって分けるだけでたいへんでした。年末の大掃除といっしょで、ふと目にとまる資料を読んでしまうとあっという間に時間が過ぎる。それにしても資料の多いこと! 昨年は音楽療法の研修に相当なお金を使ってしまいましたがそれ相応のものは得ることができたと思っています。
■少し前の冷え込みでピンクの玉のような花のグランドカバーがみんな茶色く枯れたようになってしまいました。霜にやられてしまったのでしょう。せっかく殖えてきたのに残念なこと!
2003/01/12
F-1マシン
■トヨタ博物館に行ってきました。順路は自動車の歴史を順に追っていくように設定されています。私はあまりに古いものよりも1950年代以降のモデルに魅力を感じますが、スポーツカーだけはいつの時代でも美しいと思う。ゆっくり見て回って写真もたくさん撮りました。ところが最後にトヨタのF-1マシンを見たときはそれまで見た数々の車たちがどこかに飛んで行ってしまって目が釘付けになりました。なんと美しい! 戦慄しました。空力を追求するとそうなるのだろうか。直線も曲線も面もすべてが美しくて危ういほどのバランスで形となっていた。カーボンファイバーのマテリアルの織り目もアートと思えるほどだ。写真もたくさん撮ったはずなのに帰って見たら7枚しか撮ってなかった。ただただ見惚れてしまいました。3階のライブラリーで雑誌を見ていたら鈴木亜久里が率いる「スーパー・アグリ・カンパニー」のインディのマシンの写真があって、これも美しいマシンでした。
■カメラはEOS D30を持って行きました。博物館は意外に暗くてISOを200に設定してもシャッター速度は15分の1程度です。こんなときのレンズはEF28~135ISしかありません。まさか三脚を立てるわけにはいきませんから。ISの威力はやっぱりすごいものです。広角レンズにも搭載してほしい。ところがトヨタ博物館のライティングは写真撮影には向きません。光が均一ではなくコントラストが大きい。太陽光が当たっている逆サイドにはタングステンが当たっているし、スポットの反射を避けようとするとバックが整理できない…などなど! とにかく露出が難しいのですが、D30はヒストグラムでデータを確認できるので助かります。
■このところSLR(一眼レフ)デジカメの高画素数化が進んでD30は影が薄くなってしまいました。D60と比べて叩かれています。だけど、ちょっと待ってと言いたい。D30は今も十分魅力的なカメラです。ハードの発達が私たちの感性を新しいページに誘うことに抵抗はありません。でも、人間の感性、感じ方はもっとゆっくりでウェットなものです。D30の色調のちょっと気難しいところはさながらコダクロームです。今まで個性派フィルムをいかに使いこなすかということでフォトグラファーの技術とセンスが磨かれてきたではないか! 短期間でしたがD30は一世代を築きました。D30は中古市場で品薄です。リベンジはある! と、これはD60を買えないが故のあがきなのかなぁ…。
パール・バック『母よ嘆くなかれ』
音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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Xで障害の「実存モデル」という言葉を知ってリンクをたどると 東京芸術大学のサイト でした。2018年度の「ダイバーシティ実践論」(担当教員:日比野克彦(東京藝術大学 美術学部長))の「当事者との対話4」「バリアフリーとは何か」という講義の概要で講師は東京大学の福島智氏でした。以下...