2024/09/23

北アルプスと信濃大町

 先々週末、北アルプスの唐松岳に行ってきました。八方池止まりで登頂までいかなかったのですが北アルプスの雄大かつ壮麗な山々を目の当たりにして、また、翌日訪れた大町山岳博物館で知った登山を巡る大町の歴史の密度の高さに目を奪われつつも満たされたものがありました。率直にすごい!と思いました。

前日の夜8時半に出発して黒菱駐車場に着いたのが午前2時でした。暗く細い林道を慎重に進んでこの先に何があるのだろうと思っていたら200台収容の駐車場はほぼ満車だったので驚きました。私もそのひとりですが山行に時間もお金も体力もかける人がこんなにもいるのかと。でも、八方池にいるとどんどん登山客が来て唐松岳の方向に登っていくその多さにはもっと驚くことになります。どうにか車を停めて外に出ると夜空は満点の星が輝いていました。

仮眠もままならないままリフトが動く午前5時が迫ってきたので支度をしてリフトに向かいました。日が昇り始める中でリフトに乗って後ろを振り向くと下に雲海が広がっているのがわかりました。雲は上に乗れそうなくらい分厚く見えました。リフトの乗り換えを待つ間に日の出を迎えてそれはそれはきれいでした。刻々と光が変わるので何枚も写真を撮ったつもりでしたが後で見返すとそんなにたくさん写真を撮ったわけではなくその風景に見とれていたのでしょう。日が昇ると白馬の山々がくっきりと見えて壮大でした。双眼鏡で見ると白山の山小屋に続く稜線に数人の登山客の姿がありました。急斜面の山肌や雪渓の表面の黒い筋も荒々しくて見入ってしまいました。私の技術と体力では近づくことすらできません。それでもただ見ているだけで満たされるものがありました。

2つ目のリフトを下りていよいよ登山となりました。きっと寒いだろうと初冬向けのウエアを用意したものの登り始めると日差しは強く流れる汗がメガネに付いてそれがとにかく煩わしい。八方池に着く頃には行く手にガスがかかることが多くなって池に映る山を見ることはできませんでした。また、時間的に登頂することも断念しました。それでも満たされるのは何だったのだろうと思います。

その日は白馬に泊まって8時間眠り続けました。翌日は爽快な気分で大町山岳博物館を訪れました。昼前、駐車場はほぼ満車でした。博物館に足を踏み入れるとさもあらんとすぐわかりました。順路一番の3階の窓から見えるはずの北アルプスの山々は中腹から上が雲で見えなかったものの南北に連なる山々の大きさはわかりました。大町の人たちはこの風景を見続けて暮らしているのだと
思うとその風景からもたらされるものの見方や考え方はきっと私にはすぐにはわからないものにちがいないと思いました。地質や岩石から始まって登山の歴史を物語る数々の展示はそれを示すものでした。ウェスタンに北アルプスを案内した上條嘉門次がウェスタンから贈られたと伝えられるピッケルなど貴重な収蔵品が展示してありました。これはただ事ではないと思いました。

私は高校のとき合唱組曲「山は祈る」を通して登山を考え始めました。大学に入ってからは山岳関係の本をよく読みました。新田次郎の小説や加藤文太郎の『単独行』などです。のめり込みました。しかし、ワンダーフォーゲル部に入っている友人の話を聞くと登山は自分にはとてもできるものではないと思い込んでしまいました。-10℃の冬山でシュラフにくるまって寝ること、岩場で20kgのリュックを背負って靴の先1cmを岩に置いて体重を支えることなど、そんな話を聞くと山で命を落とした「山は祈る」の世界がよみがえってくるのでした。自分には絶対できないししてはいけないことだと思いました。映画「アイガーサンクション」を観たときもそう思いました。

その後、退職後のことを考えるようになった五十代半ば、書店で平積みになっていた加藤則芳の『メインの森をめざして』(平凡社 2011)で欧米のロングトレイルの文化を知って私もいつかは山を歩きたいと考えるようになりました。山に入って自然や歴史を肌身で知って言語化することは私を惹きつけました。退職した翌年、知人が登山を始めると私も誘われて山に登るようになって今に至っています。三重県は鈴鹿山脈をはじめ登山に適した山がたくさんあります。その歴史もまた興味深くて山岳史などの本も集めるようになりました。そうした私のささやかな経験の延長線上で北アルプスの雄大かつ壮麗な姿と登山を巡る大町の歴史を知って圧倒されたわけです。大町山岳博物館を訪れた日は朝から北アルプスにガスがかかって昼過ぎになるとすっかり雲に覆われてしまいその全貌は見ることができませんでした。大間ににはこの先何度も訪れることになると思います。アルプスの山々を毎日仰ぎながらの暮らしはどんなものなのだろうかと興味津々です。

2024/09/21

5年ぶりの自作PC

今朝、自宅のデスクトップが起動しなくなってどうしようもなく少しずつ集めていたパーツでWindows11対応のパソコンを自作することにしました。どうせならとわずかながらグレードアップしたパーツを集めたのでCドライブは1TBのM.2、メモリは32GB、電源は750W、ケースはフラクタルデザインのミドルタワーR5というやや大げさなものとなりました。CPUは初めてのIntelでCore i5-14500です。組み立ては順調に進んで通電も一発でクリア。さて、肝心のWindows11のインストールとなったところでわけがわからなくなって時間とエネルギーを消耗しました。終わってみればパッケージのUSBをそのまま使えばよかったのですがインストール中にネットの接続が必要となる云々というパーツショップの店員の言葉が気になってインストールメディアを作成しようなどと考えたのがつまずきの原因でした。ネットの情報もあてにならずパッケージのUSBでけっこうあっさりとWindows11がインストールできて使えるようになりました。でも起動するとエラーが出てBIOSの画面に誘導されていちいち起動ドライブを指定しないとOSが起動しない。BIOSの画面を見るとCPUファンのつなぎ方が間違っているらしいのですがMBの取説を見てもさっぱりわからず。CPUファンは回っているのでこのまま使いながら解決策を見つけます。それともう1台、Windows11対応に更新するパソコンがあってこちらも近々組み立てる予定です。こちらはAMD RYZEN 5です。

「自作パソコンは必要があるから作られるのではなく作りたいから作られる」との名言に沿わず今回は必要だから作らなくてはならなくなりました。昨日まで動いていたA10のパソコンは2019年年明けに組み立てたので5年半使ったことになります。この5年の間にCドライブのSSDはM.2へ、メモリはDDR3の8GBからDDR4の32GBなどと変遷しました。困ったというか選択肢がなかったのはケースでした。5インチの外付けベイがあるケースがほんとに限られていて今回のフラクタルデザインのR5は2014年の発売らしく往年のモデルです。同シリーズはmicroATXのR8も使っていて定評通りの静音です。CPUもソケットLG1700という長年続いてきた規格で遠からず前世代のものとなると思いますがいわば枯れた技術なので安定して使えるでしょう。

グラフィックは拡張ボードを見送ってGPUで運用を始めていますが、例えば、MSIのGeForce RTX 4060という5万円弱の中堅どころのグラボのAmazonのレビューが日本だけではないにしろ4,000件近くもあるというのには驚きました。そのほとんどが自作パソコンに組み込まれてのものだと思います。販売数はその何倍にものぼるのでしょう。用途はゲームなのだろうか。こうしたマーケットの広さは驚かずにはいられない。されどゲームなのだろうか。という私もこのグラボを狙っています。電源を不相応な750Wにした理由はそこにあります。

2024/08/31

あらためて、新聞

小学校で行うミュージック・ケアのセッションの打ち合わせで、子どもたちに新聞紙を持って来させるときに新聞を購読していない家庭への配慮をお願いしたいと伝えたことがあります。7~8年前のことです。新聞の購読数は今はもっと減っていることと思います。昨年、夕刊の配達がなくなってからというもの、私は新聞を読むモチベーションが下がってまとめ読みをするようになってしまいました。今日もここ2~3週間分の朝刊に目を通しました。夕刊に比べると私が関心がある記事の割合は少ないのですがそれでも夢中になってしまいました。

そうして新聞の醍醐味を味わってから観た「BSスペシャル メディア砂漠のなかで進む分断 アメリカ大統領選挙」(NHK-BS 8/29)は衝撃的でした。広告がネットに流れて地方紙が廃刊に追い込まれ、SNSなどを通して偏った情報に接することで“分断”が広がっているとのことでした。その映像は目を疑うばかりでした。アメリカのメディアといえば1970年代にウォーターゲート事件を暴いて大統領を辞職に追い込むなど政治を監視して民主主義を守る役割を果たしてきたはずでした。今もそうしたメディアはあるにしても偏向報道を“売り”にしていると思われるメディアが勢力を拡大していることに背筋が寒くなる思いがしました。数時間前に紙面で読んだ新聞とのギャップはあまりに大きなものでした。アメリカ大使館のこの記述は今や過去のものなのか。

私は1紙を紙とウェブで購読し、もう1紙をウェブで購読しています。紙媒体の新聞に長年親しんできたのでウェブでも紙面ビューアなるもので読まないと見落としが出てしまいます。不思議なものです。コンビニを使って残そうではありませんが購読して新聞を残そうと思うのです。

2024/08/23

坂口ふみ『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』

 坂口ふみ『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』(岩波書店 2023)は読むたびにあらたな胸騒ぎがある本です。この本の初出は1996年3月で27年後の昨年に文庫化されました。しっかり読み応えのある本でなかなか読み切れないのですが読まずにおれない1冊です。

冒頭の「はじめに」の一節はおこがましくも意を得たりと思いました。

一般の通念として、人間の「個としての個」の自覚は近代にはじまると考えられている。しかしこの通念は、かなり偏向した考えだと思われる。当然のことながら、人は誰でも、どの時代でも、個としての個の意義や感覚を持って生きていた。それが社会の表層の思想やイデオロギーのようなものになってあらわれるかどうか、は別のレベルの問題である。そしてそれがどのような形をとるかも。
近代という言葉、おそらく広く捉えられているそれは、何かに蓋をしてあらたな幕開けを手に入れたかのような幻想を抱かせるものとして我々の思考を停止させてはいないだろうか。心性史の視点から見ても国の姿が変わったからといって人々の根源に宿るその人をその人足らしめているものが変わるものではないだろう。近代は恐い言葉だと思う。近代という言葉、概念によって失われた過去を掘り起こしてリアリティを回復させなければならないのではないか。坂口ふみの同著はその探究を綴ったものと受け止めています。

驚いたのは初出が1996年ということでした。私の1996年はどこで何をして社会ではどんなことがあったのかと思い返したり調べたりするとやはり27年前に出版されたこと自体に驚きます。「序章 カテゴリー」は女性研究者が抱える困難をフェミニズムの視点で描くあたりは全く今日的、同時代そのものです。インターネットが黎明期を脱し始めた頃とはいえその頃はフェミニズムの視点で物事が語られる場はなかったのではないか。そんな環境のなかできわめて今日的な問題が今なお新鮮な語りとなって記されていると読んでいます。そのエピソードから始まる同著は筆者が「これはジャンルのいりまじった書物となる。しいて分類すれば、エッセイのようなものだと思う。」と書いているとおり、非常に柔軟でリアリティに溢れる文体となっています。

読み始めた頃は遅々として進みませんでした。イエスの「愛」という言葉にも立ち止まってしまいました。キリスト教の勉強をしなければ読めないのではないかと。しかし、今年の2月、ある小学校の公開研究会で授業者が使った「愛」という言葉に思考停止に陥った体験から3か月が経った頃にこのふたつの「愛」が私のなかでつながるのではないかと考え始めました。その授業者に夏休み中にインタビューをしたいと思っていましたが準備不足のため断念しました。とにかく坂口ふみの同書をしっかり読んでからでないととんでもない間違いを犯してしまうのではないかという危惧があります。四半世紀を超えた今同著を読むことの意味を噛みしめながら読んでいきたいと思う。

ところで、私がこの本を買ったのは文庫が発売されて間もない頃で、その後、スマホやタブレットでも読めるように電子版を購入しました。その後、文庫版を登山に持って行ったとき行方不明となってもう1冊買い求めました。しばらくして車の荷室の隅っこから出てきたので電子版を含めて都合3冊を持つに至りました。

2024/08/15

今更のiPhone 5

iPhone 5をフリマサイトで1台調達しました。音楽療法のセッション専用とするためです。もっと新しいモデルもあるわけですが掌に収まるコンパクトさは魅力です。容量は64GBとセッション用には大き過ぎますが画像を見たところ状態がかなり良さそうだったので決めました。届いてみるとケースとフィルムを着けて使っていたとはいえまるで未使用の新品です。私も早速フィルムとケースを用意しました。色は初めての白で透明のケースに入れるとますます清楚な印象です。iPhone 5がこの先いつまで使えるかわかりませんがバッテリー交換は今もできるのでかなり使っていけるのではないかと楽観視しています。

2024/08/14

乗鞍岳

高山植物の花が咲く夏山シーズンを迎えてこの夏は自分でも意外なほど積極的に登山をしています。といっても難易度低めの山々です。先週末は乗鞍岳に行ってきました。ここも「登山口」の畳平までバスで行くのでコースタイムは80分です。でも、標高は3,026mなので私にとっては初めての3,000m超の登頂でした。乗鞍岳は日本アルプスという名前に違わずスケールの大きな山でした。

乗鞍高原観光案内所からタクシーの相乗りで畳平に着いたのは朝6時半過ぎで文字通り一番乗りでした。お花畑や登山道には誰もいない。しばしその抱かれ感に浸りました。折からの朝陽で高山植物に付いた夜露が輝きしっとりとした光景でした。ここで写真を撮っているうちにバスが着いて次々と私を追い越していきました。岩の隙間に咲く花や遠くの雲海、刻々と変わる空と池の水の色を眺めながら登りました。森林限界を超えた登山道は岩と石と土でどこも似たり寄ったりですがやっぱり一山ずつ醍醐味が違います。乗鞍岳は難易度の低い山のはずですが登る先を見ると「ここを登るのか」「ここを下るのか」と構えてしまいました。その緊張感があってこそ事故も起こらないのでしょう。頂上からは遠く槍ヶ岳などアルプスの山々を展望することができました。頂上に着いたのは11時20分でした。肩ノ小屋後ろの木のベンチで知人が淹れたコーヒーをいただくうちに西の空がガスに覆われてきて畳平に戻った12時10分頃には山の姿は雲の中で登山道はその中に消えていくという光景でした。奇跡の晴れ間だったのかもしれません。日本アルプスはまた来たいと思いました。

畳平に向かうルートは2つあって、ひとつは岐阜県側からの「乗鞍スカイライン」、もうひとつは長野県側からの「乗鞍エコーライン」です。こういった道路を往来するたびに思うのはなぜその道路が造られたのだろうということです。相当な資金が必要なことは明らかで何か大きな理由がないと始まらない。タクシーの運転手から「乗鞍スカイライン」の建設は軍事目的であったことの説明がありました。以下、Wikipediaより転載です。

1941年(昭和16年) - 陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験施設を乗鞍岳畳平に建設することを計画。そのための軍用道路として建設を開始。設計、施工は岐阜県。
1942年(昭和17年) - 幅員3.6 m、延長約15 kmが完成。第2陸軍航空技術研究所の乗鞍航空実験所が畳平に設置される。

戦後は「公園道路」となったとのことですがこうした「軍用道路」はドイツのアウトバーンが代表格でしょうか。アウトバーンは「ナチスも良いことをした」という言説のシンボルのようですが乗鞍スカイラインも手放しでは楽しめない歴史があるということです。せめてその過去に思いを巡らしながら通りたいと思いました。

今回の乗鞍行は観光案内所から畳平まで利用したタクシーの運転手から乗鞍スカイラインの歴史だけでなくバブル崩壊でエコーラインの宿泊施設の多くが廃業したこと、熊のエピソード、自転車とバスの交通事故、道路沿いの植生や天候の変化など興味深く面白い話をたくさん聞かせていただきました。

岐阜県側の乗鞍スカイラインは道路が崩落して今月20日頃まで通行止めとなっています。私も長野県側の乗鞍エコーラインからのアプローチでした。

2024/08/02

4秒の無音データ

ミュージック・ケアの実践を行うとき私は音出しにMDを使ってきましたがやっとデジタル音楽プレーヤーに切り替えました。プレーヤーは前に携帯として使っていたiPhone5で、Bluetoothを介してスピーカーから音を出すという今では何でもないことです。しかし、曲が始まる前、冒頭に4秒間の無音を入れる方法がわからなくて二の足を踏んでいました。4秒の無音の「曲」と楽曲を1つのプレイリストに入れたらよいわけですが、その無音のデータというかファイルをどうやって作ったらよいのかわかりませんでした。ICレコーダーの録音レベルを0にしてみたり何もつないでないコードをAUXに差し込んでみたりしましたが、どうしても「シー」というホワイトノイズのような音が入ってしまって気になりました。そんな折、Audacityというソフトで無音ファイルを作成することをあるブログで知って解決しました。無音ファイルをiTunesに読み込ませてプレイリストの最初に入れることで目論見通りの音出しができるようになりました。“再生操作→場所に移動→「ようい」の合図で静止”という流れがスムーズになりました。

ミュージック・ケア草分けの先達はカセットテープ1本に1曲を録音してセッションを行っていました。曲順は即興プログラムなので1本のテープに続けて録音しておけなかったわけです。ソフトアタッシュケースいっぱいにカセットテープを詰めてセッションに赴くスタイルでした。カセットテープは、しかし、その量はともかく、テープを全部巻き戻したところから再生操作をすると数秒余りのブランクが生じるので時には予めテープを曲が始まる直前まで再生操作をして止めて頭出しをするというやっかいな代物でした。その点MDは1枚1曲の前に4秒のブランク(無音)入れることで移動して「ようい」の合図で静止する時間を確保することができました。ところが、MDはディスクのコンテンツの一覧(テーブル)を読み込むのに時間がかかったり物理的な出し入れが重なって劣化したりします。再生できないディスクも出てきました。そうなるとどうしようもありません。古いMDプレーヤーとMDのディスクを騙し騙し使ってきましたが限界が見え始めていました。

私が求めたのは完全な無音でした。MDのときの無音でも再生が始まると「シー」という音が聞こえます。今回作った無音ファイルも電子部品やコード、スピーカーを通るので完全には消えない。でも、完全な無音が欲しかったのです。4秒の無音は再生しても聞こえないのですがそれが心地よいのです。どこか哲学的ですらあると思います。「無」というのか「空」というのか、おそらく禅の概念とどこかで通じるものがあるのではないでしょうか。ミュージック・ケアの動と静、とりわけ静のなかに心も身体も素のままにゆだねることはかけがえのない経験だと思う。

※件のiPhone5はこのブログを辿ったところ2012年11月から使い始めたものとわかりました。バッテリーは1回交換していますが12年を経た今もこうして使えるのはただただすごい!

2024/07/14

桑という木

朝、栃木県益子町を取り上げたNHK-Gの「小さな旅」を観ていたら耕作放棄地を活用した牧場で切らずに残しておいたという桑の木の葉を牛たちがおいしそうに食べているシーンがあり、その食べっぷりが見事だったので見入ってしまいました。牧場の草原を軽やかに駆ける牛たちはジャージー種で乳牛とのことでした。

桑の木の葉というか桑の葉で注目したのは、昨日、庭に桑の木を植えたばかりだったからです。そこに至ったのは教室で飼い始めたカイコのエサが近場では入手できず遠方からのものに頼っていたことがきっかけとなっています。かといって桑の木の苗を近くの園芸店で見たことはなく通販サイトで探すことになりました。すると桑は実をつけてそれが美味でジャムの材料にもなることがわかりました。そうなると私の桑熱は俄然上がって葉は二の次、大きな実がなるという苗を選びました。届いてみると丈夫そうな太い幹で葉はたしかに桑の葉でした。天気と仕事の関係で1週間余植えられなくて玄関先に置いたままにしておいたところ葉がだんだん傷んできたようで気になりだしました。数日後よく見ると虫(何かの幼虫)が葉を丸くした中に隠れていました。葉を食べていたのはこの虫だったようで、他に黒い小さな虫もいました。これはたいへんとやむを得ず殺虫スプレーを使いました。出荷のとき点検しなかったのか届いてから虫がついたのか、それはわかりません。桑の葉は無残な姿になりましたが新しい芽もいくつか出てきたので大丈夫でしょう。

カイコを飼うのは初めてでさわるのも初めて、その驚異的な食欲に桑の葉が足りずに一時は痩せてしまって心配もしました。いつしか繭をつくり始めてまたいつの間にか羽化した成虫がいて今度は卵をたくさん産んでと驚きの連続でした。成虫は翅があるのに飛ぼうとしないのも不思議でした。カイコは人間が絹糸を取るために改良を重ねて自力では生きていけなくなったと聞いたことがあります。その絹糸となる繭の糸はほんとに細くてこれからどうやって糸を作っていくのかとそれも不思議です。また先日は八丈島の黄八丈が絹とわかってそれも驚きました。その技術が昔からそこにあったということです。先人の知恵にはただただ脱帽です。

2024/06/22

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番のことなど

ふとしたことでこの曲を聴きたくなってiTunesのリストを探したところ見当たらなくてそのことを訝しく思いました。なぜないのかと。記憶を辿ると学生の頃はFM放送からカセットテープに録音して何度も聴いて、コンサートでも聴いて、でも、レコードやCDでは持っていないのではないかと、かといって山積みのダンボール箱からCDを探す気力もなくiTunes Storeでアリス=紗良・オットのアルバムを購入しました。

冒頭の雄たけびのようなホルンを聴くといきなりチャイコフスキーの濃厚なロマンティシズムが襲ってきます。ピアノもオーケストラも相まって幾重にも襞のように聴く者を包み込む。何も言うことはない。ただ聴くのみだがエネルギーを吸い取られていくような感覚もあってこれはチャイコフスキーならではの魅力でもありちょっと怖いところでもある。ロマノフ王朝末期の社会矛盾の中でチャイコフスキーはかくも美しい作品を書き綴ったのだ。美と怖さが綯い交ぜに織り込まれた彼の楽曲は聴きたくもあり距離を置きたくもあります。アリス=紗良・オットのアルバムはリストのピアノ協奏曲第1番とバンドルされています。こちらの方は心おだやかに聴けます。

昨日届いたのは滝澤志野の「Dear Chopin」と「Dear Tchaikovsky」です。バレエのレッスン用に編曲、録音されたアルバムで厚みのあるあたたかい音色はとても好感が持てます。滝澤志野のピアノリサイタルに出かけたのは昨年の7月のことでした。どこまでもあたたかでおだやかで華やかで、うっとりするとはこのことかと思いました。このアルバムのチャイコフスキーもやはり心おだやかに聴けます。バレエの伴奏というシチュエーションがかくも音楽を変えるものなのだろうか。それにしても2枚ともほとんどの曲が続けて2回収録されているのは不思議です。どういう使われ方をするのだろうか。

バレエの伴奏の話は永井玉藻著『バレエ伴奏者の歴史:19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』(音楽之友社 2023)に詳しい。かつてはピアノではなくバイオリンがレッスンの伴奏を担っていたとか。どこでも手軽に運ぶことができるバイオリンの利便性は重宝されたようです。

2024/06/01

Bandit 1250S

Bandit1250Sの車検が4月14日に終わって自宅までの帰路を1年2か月ぶりに走りました。その次は5月3日、市内の山間部の道の駅までソロで走ってきました。片道約30kmです。今日もそこまでの往復を走ったのでほぼ1か月に1回乗ったことになります。もっと乗りたいのですがここしばらく土日にいろいろ予定が入って天気が良くてもバイクに乗れないことが続いています。

5月3日は久しぶりでとにかく緊張して停止する度にふらついてばかりでした。ニーグリップは意識しないと緩んでくるしブレーキの前後のバランスも手探りでした。道の駅に着いてバイクから降りたら足が地に着いていない感じでふわっとしていました。

その後、たまたまインスタのリール動画で停止するときのふらつきはニーグリップをしっかりキープしてリアブレーキを効かすことで防げると知って今日はそのことを意識してみました。すると不思議なくらい安定して止まることができました。カーブで行きたい方向をしっかり見続けることも然りでした。ニーグリップと相俟ってコーナリングが安定しました。どれも基本中の基本です。大型の教習を思い出しながら走りました。

マニュアルのバイクは道路と交通のリアルタイムの情報に合わせた両手足のコンビネーションがやっぱり面白いと思いました。今日もいつもの市内の道の駅まで走っただけなのに頭も体も冴えわたるような感覚がありました。五感が活性化するとでもいうのだろうか。一つひとつ、ていねいにステップをこなして安全に楽しみたいと思う。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...