2025/04/13

フランスを思うとき、再び

6月に子どもと少子化にかかわる話題提供をすることになってその準備をしています。大正新教育の文献を調べていて多産多死といわれた頃の子どもの死に対する親や教師の感情にかかる記述、つまり、心性を視野に入れることで現在の少子化の中の子どもを考えていきたいという趣旨です。これまでに目に留まったところを拾い出したりあらたな文献に目を通しています。

そうした文献の中でとりわけ面白いのは北本正章著『子ども観と教育の歴史図像学 新しい子ども学の基礎理論のために』(新曜社 2021)です。後注を入れて500ページ余もありますがこの週末でほぼ目を通してしまいました。西洋の絵画に描かれた子ども、シャボン玉と子どもが描かれた絵画を手掛かりに考察するくだりはとにかく興味深い。小林敏明著『風景の無意識 ― C・D・フリードリッヒ論』(作品社 2014)もそうですが、絵画が示され論が展開されることで論だけでなく心が動いて理解がぐっと深まるように思います。私の話題提供の内容については今日ここで云々する段階ではありませんが、「子ども観」「子ども」についてのフランス人学者のかかわりのところで目が釘付けになりました。

子ども学研究の基本カテゴリーを再構成する上で欠かせない方法論的視点は、「子ども」が歴史概念であるという発見から導かれる。柄谷行人が鋭く指摘したように、歴史概念は時間の経過によって生成し、変容するなかで「発見」されることが多い。「野生」(未開人)の発見はベルギー生まれてのフランスの構造人類学者クロード・レヴィ=ストロースによって、「狂気」(狂人)の発見はフランスの哲学者ミシェル・フーコーによって、そして、「子ども期」(子ども)の発見はアリエスによって、それぞれなされた。これらは二〇世紀の学界における三大発見といわれる(中村雄二郎)が、そこに共通するのは、いずれもフランス人学者によること、それぞれの専門分野である人類学、哲学、歴史学において、それまでの伝統的な思惟様式を覆したことであろう。概念はつねに歴史変容を迫られ、古い層に沈殿して堆積し、新しい層が表面に浮遊する。思想や文化概念のこのような積層を考古学的にたどる方法の点でも、三者は共通していた。

この本の初刊は2021年と新しい。サブタイトルの「新しい子ども学の基礎理論のために」は、当然ですが、この本の現在地を明確に示しているといえます。

2025/03/27

フランスを思うとき

 今朝、NHKのニュースで「仏大学などが米研究者を受け入れへ トランプ政権の予算削減でで」が流れて出勤の支度の手を止めました。環境問題などの研究予算を削減や廃止するというトランプ政権の動向を伝えるニュースが気になっていたのでフランスの大学のこうした対応に賛辞を送りたくなりました。これはアメリカにとって頭脳流出であり、そう遠くない日に少なからず慌てることになるのではないかと思います。翻って日本はというと大学の予算も研究の自由も低下の途上であり文字通り対照的といえるのではないか。「フランスにおいて研究者の自由は重要な価値観だ」と述べるサントラル・シュペレックのロマン・スベラン事務局長の言葉は力強く響く。2017年6月24日の大谷大学の3学部化シンポジウムでの鷲田清一の講演「Be Real ― 学ぶべきこと、意味 ―」も然りでした。

フランスの歴代の大統領が学ぶ国立行政院では行政学と哲学の修士論文が課せられる。どうして行政の専門家になる人に哲学の修士論文を課するのかと問うと「例えば、幸福とは何だろうと考えたことのない人がエリートになって国の行政を行う、ひとりでも多くの人が幸福と思える社会をつくる仕事に就く、幸福ということを考えた人に任せたら危ないではないか」と返ってきた。

このエピソードはフランスの歴史に流れる通奏低音のような哲学を示唆していると思います。今回のアメリカの研究者受け入れはこうした哲学の現れといえるのではないか。噛み締めるように受け止めました。

2025/03/18

新教育

 すいぶん大げさな見出しですがそんなことを考えながら今井康雄編『教育思想史』(有斐閣アルマ 2009)を持ち歩きながら読んでいます。新教育についてそうかもしれないと考えていたことがそのまま書かれていて我が意を得たりと頷きつつ、さて、こんなにも当然のように何のためらいも感じさせない筆致で書かれているとはどういうことかと、そして、自分の不勉強を情けなく思うのです。

長野県伊那市立伊那小学校の総合にかかる取り組みはこれまでも事ある度に注目されてきました。ゆとり教育、総合学習、探求、等々です。伊那小学校を範として知見を得たいと多くの教員や研究者、マスメディアがその都度注目してきていますが、私の目には、そうした外部のリクエストがあったからといって同校はその歩を早めることも方向を変えることも一切なく自らの歩みを一歩ずつ確かめながら進めてきたと映っています。その徹底ぶりは同校が用いる言葉にも現れていると考えています。それに気づいてからというもの「新しい教育言説」をクールに考えることができるようになってきたと思っています。今井康雄編『教育思想史』にはまさにそのことが書かれてあるのです。

・・・敗戦後、新教育はそれまでの反対派的な立場から教育の主流・本流へと躍り出た。もっとも、新教育が学校現場を席巻したといえるのは敗戦直後に限られる。学力低下などを理由とした新教育批判はすでに占領期から出ていたし、その後、1950年代後半には、文部省の学習指導要領も新教育的な活動重視から教科内容重視へと舵を切る。しかし、「受験教育」が批判され「詰め込み主義」が批判されるとき、批判を支える論拠として呼び出されるのはきまって新教育的な考え方であった。1990年代に学校の知識偏重や画一主義が批判され「ゆとり教育」が提唱されたときも、その具体策として出てきたものは、「生活科」にせよ「総合的学習の時間」にせよ、新教育にルーツをもつ構想だったのである。(「生活科」は、すでに1930年代、生活綴方に関わった教師たちが提唱している)。

こうした記述は今井康雄が担当した「第15講 新教育以後の教育思想」に何度か登場します。この本の初刊は2009年ですでに京都市立堀川高等学校は探究科を設置していましたが、当時、ここ数年のような探求の盛り上がりが来ていれば「生活科」や「総合的学習の時間」と並んで探求が記述されたことと思います。

また、大正時代に新教育を行った例を挙げて著者は次のように記述しています。

以上のような多様な試みに共通しているのは、子どもの個性的で自発的な活動を教育の中に取り込むという、新教育一般に通じる考え方である。

「主体的」ではなく「自発的」なのです。たいへん重要な視点であると考えます。

教育思想という言葉を軸に書かれたこの本は教育を軸に社会の変遷や歴史を見る視点を示してくれています。近代のところから読みましたがその後最初から順に読んでいます。

2025/03/09

ジゼルという名のバレエ

 本の名前なので『ジゼルという名のバレエ』と表記するべき見出しです。シリル・ボーモント著、佐藤和哉訳で音楽之友社の「クラシックス・オン・ダンス」のシリーズの1冊(1992刊)です。今では希少本らしく古本市場では当時の価格以上で並んでいます。バレエは習い事として一定の人気があるようですがこうした学術本はマイナーでおそらくあらたな本は出ないだろうと思っていたところ昨年2024年8月に『ジゼル 初演から現代まで』(せりか書房)が出版されました。著者は鈴木晶、設楽聡子、斉藤慶子、赤尾雄人、森菜穂美、川島京子です。帯には次のようにあって、1冊丸々「ジゼル」について書かれていてどこを開いても「ジゼル」していて興味津々です。

不朽の名作バレエ「ジゼル」ーー初演から180年経た今も、その人気は相変わらず衰えない。その秘密はどこにあるのか。180年の間にどこがどう変わってきたのか、気鋭の研究者たちがその秘密を解き明かす。

バレエやその歴史について書かれて本を読んでいくと「ジゼル」はいろいろ突っ込みどころがあることがわかってきて興味がわいてきました。衰えない人気の秘密はどこにあるのか。そもそもこの疑問の本質はどこにあるのか。

昨年末、はやり鈴木晶の著書『バレエ誕生』(新書館 2002)を読んでいたとき私はある一文にあっと声を上げそうなくらい驚きました。

・・・このバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである

「メタ・バレエ」とは? 「バレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」」とはどういうことなのだろう。バレエを存在論として考えるということなのだろうか。面白いと膝をポンと打ちました。このあたりは前後の文脈があるので引用します。

 さて、ジゼルはいったいどういう娘か。ゴーチエは、青い目をして、かすかに無邪気な微笑を浮かべ、足取り軽やかな、魅力的な娘だ。[・・・・・・]この娘の役どころはこの上なく単純だ、つまりロイスを心から愛し、踊りが大好きというだけだ」と書いている。いうまでもなく、この「踊りが大好き」という点が重要である。これがこのバレエを傑作にしている要素のひとつである。というのもこのバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである。

 これは他のバレエと比較してみればわかる。たとえば「眠れる森の美女」のオーロラが踊るのは、この作品がバレエだからであって、物語の枠内では彼女は踊っているわけではない。ダンスはあくまで表現手段にすぎず、芝居ならセリフで表現するところを、バレエだから踊りで表現しているにすぎないのだ。『白鳥の湖』のオデットについても同じだ。だから、そうした作品においてはバレエが自己言及、自己反省していない。それに対して、メタ・バレエの典型的な作品は、たとえば映画『赤い靴』の劇中バレエ「赤い靴」である(アンデルセンの「赤い靴」自体がダンスについての物語である)。そこではバレエがバレエに自己言及し、踊るとは何か、という問いを発している。

バレエ「ジゼル」を観る人のなかでは知らず知らずのうちに舞踊論が立ち現れるのか。細かく具体的な様々な検討が求められます。その切り口やひとつひとつの地平に立ち上がってくる諸相があまりに膨大であるところにバレエ「ジゼル」の魅力と核心があるのだと思います。

ところでパリ・オペラ座で「ジゼル」が初演されたという1841年はどんな社会状況だったのか。フランスはルイ・フィリップが座する産業革命真っただ中のフランス王国であり、ロシアはニコライ1世のロシア帝国、中国ではアヘン戦争の真っただ中の清であり、日本では享保の改革が始まった年で、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の初演の36年前です。そうした社会状況で演じられたバレエ「ジゼル」は一体何だったのか。フランスでは9年間演じられたもののその後忘れ去られたようですがロシアで演じ続けられたのも興味深い。本を読み進めたい。

2025/03/02

教育史を読む

 先週の日曜日、雪の日に東吉野村の人文系施設図書館ルチャ・リブロを訪れました。高見峠は路面が真っ白でスタッドレスタイヤの効きを確かめながらのドライブでした。

ルチャ・リブロではいつもあらたな発見があります。先日は今井康雄編『教育思想史』(有斐閣アルマ 2009)でした。すぐに取り寄せて研究に直結する部分を読みました。第3部日本の教育思想 第11講「近世日本の教育思想と〈近代〉」(辻本雅史)と第4部 現代の教育思想 第15講「新教育以後の教育思想」(今井康雄)です。驚いたのは、これまで疑問に思っていたことや断片的に知っていたことが包括的にまとめられていた点です。素読におけるテキストの身体化や主体を表すsubjectという言葉がもつ「主体」と「臣下」の二重の意味、等々です。それに加えて新教育をその地平の外から見る視点として、フーコーやルーマン、ハーバーマスの考え方を腑に落ちるものとして知ることができました。アリエスの『〈子供〉の誕生』の視点も目から鱗でした。思えば私は大学で教育系のコースで学んだことはなく教育史も断片的にキーワードを追うくらいしか勉強したことがありません。この本は大学の教科書として使うことを視野にしたものと思います。この本が私が大学で学んでいた頃に出版され出合っていたとしてもどこまで理解することができたかは甚だ怪しいですがすべての教員が読むべき本ではないのだろうか。大学で教育史はどのように扱われているのだろうか。歴史を知らずして自分の「現在地」がわかるはずがないのではないか。

2025/03/01

バレエと音楽~福田一雄と滝澤志野の論考から

 福田一雄は1931年生まれの94歳で現役を退いていると思いますが、彼の著書『バレエの情景』(音楽之友社 1984.11.1)を国立国会図書館のデジタルアーカイブで読み始めたらあまりに面白いので取り寄せることにしました。届いたのは40年も前の本でカバーの天の部分のしわがよったまま固くなっていたり全体が茶色になっていたりしましたが扉に著者のサインがあって目が点になりました。サインの日付は1984.11.4なので初刊時のものです。私はサイン本にこだわっていませんが手元に偶然届いた著者のサインを見ると当たり!と思ってしまいます。とくに今回はありとあらゆる音楽、とりわけバレエ音楽を弾き、指揮してきた著者の手によるサインです。しみじみと見ました。

この本はオーケストラピットから見たバレエの裏話など愉快なエピソードから始まってそれはそれで面白いのですが、バレエと音楽との関係についてのところはずっと疑問に思っていたことなのでたいへん興味深く読んでいます。後段の「ほんとうの作曲者はだれ?ー版についての考察」は数々のバレエの音楽が後世に作曲者以外の手によって改変や他の作曲者の楽曲が挿入されるなどの具体例が挙げられていてそのこと自体は前から知っていましたが改変の頻度や規模の多さと大きさに唖然としました。音楽を興行していくためにはワーグナーでさえも楽劇の中にバレエのシーンを追加して作曲したというエピソードもあります。「白鳥の湖」や「ジゼル」は何を言わんやです。そして、福田一雄はバレエと音楽との仲を取り持って演奏を続けてきたことがこの本からよくわかります。柔軟かつしたたかに音楽を奏してきたわけです。

先月、やはり共通するテーマで滝澤志野が「バレエチャンネル」に寄稿していてたいへん興味深く読みました。バレエの音楽といわゆるクラシック音楽との相違です。

【第57回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜バレエに殉じることなく、寄り添うために(2025.02.20 滝澤 志野)より

バレエを知らなかった時代に愛していた音楽は懐かしく、でも当時と今とでは、聴こえ方が違うことにも気がついた。この音楽がバレエ作品になったらどうだろう、この演奏だと踊れるだろうか……等と考えてみたら、すべてが新鮮に響いてきて、いろんなイマジネーションが湧いてきた。ただひたすら楽譜に忠実に、作曲家の想いと自分の音楽を追求していたあの頃と、バレエに焦点を当て、楽譜を見ながらも踊りを見つめている今の自分は違う。

小澤征爾の「白鳥の湖」全曲盤を聴いたとき、管弦楽曲としての醍醐味はあふれるほどで堪能しましたがこれで踊れるのだろうかと考えてしまいました。バレエについていかほども知っているわけではないのにそんな素朴な疑問がよぎりました。実際のところは今もわかりませんが、その後、小澤征爾、シャルル・デュトワ、アンドレ・プレヴィン、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ワレリー・ゲルギエフのCDを聴いてきてテンポや歌い方といったアコーギクやアーティキュレーションに大きなちがいがあることを知りました。それぞれにバレエとして演じ奏する舞台があるということなのだろうか。バレエピアニストの滝澤志野のコンサートで聴いたショパンは「クラシック音楽」としてのそれとはちがう印象がありましたが「音楽」としては何の違和感もなかったことが不思議でした。踊りと音楽のそれぞれの文脈といったものがスリリングに進行していくという点ではミュージック・ケアも同じだと考えています。興味は尽きません。

2025/02/21

池袋児童の村小学校と野口雨情

私設人文系図書館ルチャ・リブロの司書の青木海青子さんの講演「生きるためのファンタジー」を聴いて紹介された本を読み、そして、勤務校の子どもたちにあらためて目をやると、子どもはrealityとactualityのふたつの世界の行き来を瞬時に繰り返しながら今を生きているのだと思いました。いろんなことが想起されます。そのひとつが池袋児童の村小学校の野口雨情のエピソードです。

野口雨情は「シャボン玉」など童謡の作詞家であることは知っていましたが、池袋児童の村小学校の元児童らの話をまとめた資料に目を引くエピソードがあって少しずつ調べています。そのきっかけとなったのは中野光・高野源治・川口幸宏『児童の村小学校』(黎明書房 1987)の次の部分です。

児童の村小学校物語――その二
大正十五年頃、初期の児童の村は、とても有名な存在で、よくいろんなお客様が見えました。その中で強く記憶に残されているのが、野口雨情氏です。野口雨情氏は当時子供でも知らない者はない位、有名な童謡作家でし た。“からす何故なくの、からすは山に、可愛いい七つの子があるからよ・・・”という歌は、学校中どこかでいつ も聞こえていました。ですから、この野口雨情氏に僕たち生徒が、非常な興味をもったのは当然でしょう。当時の雨情氏は、おそらく四十歳前後ではなかったかと思われます。黒い詰襟の洋服、頭は角刈のようで分けてはい なかったようです。あまり大柄ではなく色の白い、細面の少し長目の顔でした。一見村夫子然とした、そして隠やかな話し方をされました。この雨情氏のお話が、僕には今日まで忘れ難い印象を残しているのです。
<雨情氏のお話>
 雨情氏は、八畳二間の講堂で、全校生徒五、六十人を前に、三、四十分は話されたと思います。ですが、僕の記憶に鮮かに残されているのは、ただ一つのことです。雨情氏は頗る真面目に話されました。
 ーー皆さん、皆さんは、あんぱんがお好きですか。それともチョコレートがお好きですか。チョコレートの方がお好きでしょう。童話は、あんぱんであります。童謡は、チョコレートであります。童謡がどんなによいものであるか、皆さんからよく世間の人に話して下さい。・・・ ーー
 大体こんな主旨の話でした。その時、最上級生だった僕は、なんて理屈に合わない話だろう、と思いました。ですが、この理屈に合わない話を、一生懸命に真面目に話される雨情氏を、不思議な存在だと思いました。そうして、自分では本当にそうだと思っているのかなあ、と思うと、僕は雨情氏の人柄一人格に、ふれたような気持ちになりました。そしてそれは、五十年後の今日でも変わらないのです。
<雨情氏の詩と童謡 >
 雨情氏の詩と童謡は、およそ理屈に合わないというところに、その基調があるようです。
 大正末期、文部省あたりから非難の声も出たとかいう、あの“枯れすすき”の歌も、理屈もへちまもないひどいものです。ですがあの詩が、今日まで日本人の叙情の根底に流れていることは否定できないでしょう。 雨情氏の詩は、常に農村的です。日本の“村”の詩です。 
 “葱をすてれば しほれ枯れる 葱も捨てれば しほれて枯れる お天とう様見て俺りゃ立いた”
 どこにも理屈はないのですが、農村青年の叙情があふれています。また、浪漫的な詩もありますが、これもあくまで農村的です。
 “あの山越えて岡越えて、俺と一緒にゆかないか。連れて行くなら行きましょが、鬼が出るなら俺ら嫌だ。”

 実にユーモラスな相聞歌です。かような詩を、雨情氏は、氏独得の節をつけて声高らかにうたいました。僕もこれは児童の村時代に聴いたことがあります。それは何とも言えない、情調と風情にあふれた絶唱と言ってよ かったと思います。昨年十一月の児童の村五十周年の席上で、音楽の先生でいらっしゃった小出浩先生が、雨情さんの歌は、作曲の専門家が楽譜に写そうとすると、いつも節が違っている。それでどうしても雨情節の写譜ができなかった、と言われました。また、"からすの子”の童謡も、"可愛いい七つの子”というのが、七歳の子というのか、七匹の子というのか、今日まで判然としてはいないのだ、と話されました。この徹底的に無理屈なところに、野口雨情の“人と芸術”の真諦があるのではないでしょうか。そして、そういう世界が理屈なしに我々の心に残されている、ここに“児童の村”があったのだと、今日でも僕は思っているのです。(久布白三郎_評論家)

野口雨情の歌を聴いて幼い頃を過ごすのは今も同じだと思います。「七つの子」の謎は解けることなく謎のまま人生を送ります。「船頭小唄」はその情景を見たことがなくても日本語の歌詞の中から見えるように感じることがあるのではないでしょうか。realityではなくacutualityの最たるものだと思います。「七つの子」の謎が謎のままでいてその謎に思いを馳せる心もちが日常や人生を豊かにするのではないだろうか。このような謎を子どものときにたくさん経験することは謎を謎として温める心のゆとりとなることでしょう。


2025/02/14

『鬼の橋』『クラバート』読了

 先週から今週にかけて、伊藤遊著『鬼の橋』(福音館書店 1997)とオトフリート=プロイスラー著・中村浩三訳(偕成社 1980)『クラバート』を読了しました。どちらもこんなに面白い物語があったのかと溜息が出てしばし読み終わるのがもったいないと本を閉じながらの読書でした。物語に文字通り没頭するのは久しぶりでした。そして、そうして時が過ぎゆく感覚は不思議なものでした。

『鬼の橋』の主人公である小野篁は前々から気になっていた人物でどんな歌を詠んだのかと調べたことがあり、また、縁の六道珍皇寺はいつか訪れたいと思っていました。昼間は公務員、夜は閻魔大王の補佐役として政(まつりごと)の表と裏で闊歩する構図はすこぶる面白い。そうした発想はどのような背景があって生まれたのだろうか。いくつかの物語にも描かれ、現代においては伊藤遊が今を生きる存在として息を吹き込んだといえるでしょう。読んでいてこの物語が平安の過去のものとは思えない共通項が感じられます。鬼を介在させることによって摩訶不思議な物語が読む人をしてかくも容易くまことしやかな物語として読ましむるのだろうか。人というか人間はうちに鬼が住まうものなのだろうかと考えさせられる。そして、とにかく「うまい!」と唸ってしまいました。

『クラバート』は魔法文学とでもいうのだろうか。不思議な力をもつ魔法は幾千幾万もの物語に描かれてきました。その習得の過程は魔法文学のひとつの形です。『クラバート』はその典型といえるでしょうか。魔法の勉強は難しい。魔法は何でもできるはずなのに苦労を重ねて勉強をします。物語は中世と思しきドイツの水車屋が舞台となって展開します。親方に抗えない12人の弟子が毎年一人ずつ生贄となることがわかっている中で修業と粉ひきの仕事をします。弟子同士の疑心暗鬼にクラバートは揺れ動きますが、自分を愛する娘によって救い出される最終場面では愛するクラバートの不安の察知という魔法でも何でもない真っすぐな人の心の働きが描かれます。濃い読了感がありました。

鬼と魔法という人知が及ばないものに人はなぜ惹かれてたくさんの物語や昔話が伝わり今もこうして書かれるのか。キリスト教における魔女も然り。悪さをしない妖精も人知が及ばないということでは通じるものがある。こうした人知が及ばないものたちをつくりだすことで人は不安を乗り越えたりやり過ごそうとするのはないか。その説になるほどと思っています。

2025/02/11

メガネの憂鬱、再び

 「生きるためのファンタジー」で紹介のあった物語4冊の3冊目を読んでいます。面白くてたまらいのでちょっとした隙間時間も読めるようにカバーを付けて持ち歩いています。キャサリン・ストー著、猪熊葉子訳『マリアンヌの夢』は子ども向けなので少し大きいといってもやっぱり文庫版なので字が小さくて老眼鏡も持ち歩いて読みました。しかし、どこか違和感があって行きつけのメガネ店でデスクワーク用のメガネを新しく作ることにしました。老眼の単焦点のメガネを作るのは初めてだったので調べてもらったところ市販の+1では度が強過ぎることがわかりました。ふだんかけている遠近両用のメガネの手元用レンズは+0.75でした。市販では見かけたことがないと思っていましたがあることはあるようです。ただ、そこまで考えることはなくやっぱり専門店で相談してよかったと思いました。新しい+0.75の単焦点のメガネはノートパソコンから手元の小さな文字までくっきりと見えて長時間使っても疲れません。

今回新調したフレームは薄い飴色のセルの丸っこいデザインで他のメガネとは全く異なるイメージです。普段使いのフレームはやや尖った印象があります。デスクワークのみと割り切ると余分な力が抜けたのか、一言でいうと目立たないデザインを選んだということだろうか。メガネひとつで気分も変わるので面白くて不思議です。

2025/02/08

『マリアンヌの夢』の草

キャサリン・ストー作、猪熊葉子訳です。先週、四条畷市立田原図書館で開催されたルチャ・リブロの司書、青木海青子さんの講演会で紹介された本です。この日の演題は「生きるためのファンタジー」で、『マリアンヌの夢』もファンタジーに分類されるようです。

講演会で紹介されたファンタジーは4冊あってそのどれもに惹かれて全部を取り寄せました。最初に読もうと思ったのは『マリアンヌの夢』でした。主人公のマリアンヌもマークも病気で、「子どもの成長にとって病はどんな意味があるのか」について考えさせられる作品だという青木さんの一言がその理由です。ファンタジーといわれる文学作品を読むのはもしや何十年ぶりかもしれず、ぐいぐいと作品の世界に惹きこまれてしまいました。読み終わったら自分でも不思議なくらいどっぷりと惹きこまれてしまってどう感想を言語化すればよいのかわからない状態になってしまいました。この本の主題は子どもの成長にとって病気とそれに起因する不安はどういうものかという点にあると思うのですが、今日は他の一点、草、草原についてのみ書きたいと思います。

池袋児童の村小学校について調べていたとき、校舎も校地もあまりに狭くて子どもたちは隣地の原っぱで自然観察をしたり遊んだりしたという記述が元児童らの証言で私の目を引きました。放課後もそこで遊ぶことが多かったとも。野村芳兵衛が子どもたちに穴を掘らせたのもそこだったのかと思いましたが、原っぱや草、草原という言葉は勤務校の草だらけの運動場を駆け回って遊ぶ子どもたちの姿と見事というくらい重なって私の研究の重要なキーワードのひとつとなりました。そして、『マリアンヌの夢』も草や草原が度々登場して物語を構成する大事なキーワードとなっているように思います。

お母さんのマホガニーの裁縫箱で見つけた1本の鉛筆で画帳に描いた家の周りにマリアンヌは草を描きこみます。彼女は慎重に描きこみます。

 マリアンヌは家のまわりに柵をかき、門から玄関まで小道をつけた。柵の内側には花を咲かせ、家の外側には一面に丈の高い草をかいた。すくなくともその草の丈が腰のあたりまであればいいと、マリアンヌは思った。柵の外の草原には、ごろんとしたおおきな石をいくつかかいた。それはコンウォール地方の荒野(ムーア)でよく見かけるような大石だった。

草とその大石は物語の最後まで重要な役割を担います。草は大石から逃げるマリアンヌとマークの脚を刺して傷つけたり伏せるふたりを追っ手から隠したりします。途中を全部端折って物語は次の3行で終わります。

 すべてが、ゆっくりと休み、満足し、待っているように思われた。マークはやって来る。マークはマリアンヌを海に連れていくだろう。マリアンヌは、いい香りのする、短い草の上に横になった。マリアンヌも待った。

私はイギリスを訪れたことはありませんが、ヒースに覆われたムーアとよばれる荒野は私にとってイギリス文学の原風景といっても過言ではなく、やはりコンウォール地方が舞台の『マリアンヌの夢』で草や草原が幾度も描かれていることにこの作品の奥深さを思うのです。もちろん、この作品の大きな読了感は草だけのものではありませんが今日は草に焦点を当ててみました。

文学と草といえば、アラン・コルバン著、小倉孝誠・綾部麻美訳『草のみずみずしさ 感情と自然の文化史』(藤原書店 2021)にふれないわけにはいきませんが今日はここまでとします。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...