2025/02/21

池袋児童の村小学校と野口雨情

私設人文系図書館ルチャ・リブロの司書の青木海青子さんの講演「生きるためのファンタジー」を聴いて紹介された本を読み、そして、勤務校の子どもたちにあらためて目をやると、子どもはrealityとactualityのふたつの世界の行き来を瞬時に繰り返しながら今を生きているのだと思いました。いろんなことが想起されます。そのひとつが池袋児童の村小学校の野口雨情のエピソードです。

野口雨情は「シャボン玉」など童謡の作詞家であることは知っていましたが、池袋児童の村小学校の元児童らの話をまとめた資料に目を引くエピソードがあって少しずつ調べています。そのきっかけとなったのは中野光・高野源治・川口幸宏『児童の村小学校』(黎明書房 1987)の次の部分です。

児童の村小学校物語――その二
大正十五年頃、初期の児童の村は、とても有名な存在で、よくいろんなお客様が見えました。その中で強く記憶に残されているのが、野口雨情氏です。野口雨情氏は当時子供でも知らない者はない位、有名な童謡作家でし た。“からす何故なくの、からすは山に、可愛いい七つの子があるからよ・・・”という歌は、学校中どこかでいつ も聞こえていました。ですから、この野口雨情氏に僕たち生徒が、非常な興味をもったのは当然でしょう。当時の雨情氏は、おそらく四十歳前後ではなかったかと思われます。黒い詰襟の洋服、頭は角刈のようで分けてはい なかったようです。あまり大柄ではなく色の白い、細面の少し長目の顔でした。一見村夫子然とした、そして隠やかな話し方をされました。この雨情氏のお話が、僕には今日まで忘れ難い印象を残しているのです。
<雨情氏のお話>
 雨情氏は、八畳二間の講堂で、全校生徒五、六十人を前に、三、四十分は話されたと思います。ですが、僕の記憶に鮮かに残されているのは、ただ一つのことです。雨情氏は頗る真面目に話されました。
 ーー皆さん、皆さんは、あんぱんがお好きですか。それともチョコレートがお好きですか。チョコレートの方がお好きでしょう。童話は、あんぱんであります。童謡は、チョコレートであります。童謡がどんなによいものであるか、皆さんからよく世間の人に話して下さい。・・・ ーー
 大体こんな主旨の話でした。その時、最上級生だった僕は、なんて理屈に合わない話だろう、と思いました。ですが、この理屈に合わない話を、一生懸命に真面目に話される雨情氏を、不思議な存在だと思いました。そうして、自分では本当にそうだと思っているのかなあ、と思うと、僕は雨情氏の人柄一人格に、ふれたような気持ちになりました。そしてそれは、五十年後の今日でも変わらないのです。
<雨情氏の詩と童謡 >
 雨情氏の詩と童謡は、およそ理屈に合わないというところに、その基調があるようです。
 大正末期、文部省あたりから非難の声も出たとかいう、あの“枯れすすき”の歌も、理屈もへちまもないひどいものです。ですがあの詩が、今日まで日本人の叙情の根底に流れていることは否定できないでしょう。 雨情氏の詩は、常に農村的です。日本の“村”の詩です。 
 “葱をすてれば しほれ枯れる 葱も捨てれば しほれて枯れる お天とう様見て俺りゃ立いた”
 どこにも理屈はないのですが、農村青年の叙情があふれています。また、浪漫的な詩もありますが、これもあくまで農村的です。
 “あの山越えて岡越えて、俺と一緒にゆかないか。連れて行くなら行きましょが、鬼が出るなら俺ら嫌だ。”

 実にユーモラスな相聞歌です。かような詩を、雨情氏は、氏独得の節をつけて声高らかにうたいました。僕もこれは児童の村時代に聴いたことがあります。それは何とも言えない、情調と風情にあふれた絶唱と言ってよ かったと思います。昨年十一月の児童の村五十周年の席上で、音楽の先生でいらっしゃった小出浩先生が、雨情さんの歌は、作曲の専門家が楽譜に写そうとすると、いつも節が違っている。それでどうしても雨情節の写譜ができなかった、と言われました。また、"からすの子”の童謡も、"可愛いい七つの子”というのが、七歳の子というのか、七匹の子というのか、今日まで判然としてはいないのだ、と話されました。この徹底的に無理屈なところに、野口雨情の“人と芸術”の真諦があるのではないでしょうか。そして、そういう世界が理屈なしに我々の心に残されている、ここに“児童の村”があったのだと、今日でも僕は思っているのです。(久布白三郎_評論家)

野口雨情の歌を聴いて幼い頃を過ごすのは今も同じだと思います。「七つの子」の謎は解けることなく謎のまま人生を送ります。「船頭小唄」はその情景を見たことがなくても日本語の歌詞の中から見えるように感じることがあるのではないでしょうか。realityではなくacutualityの最たるものだと思います。「七つの子」の謎が謎のままでいてその謎に思いを馳せる心もちが日常や人生を豊かにするのではないだろうか。このような謎を子どものときにたくさん経験することは謎を謎として温める心のゆとりとなることでしょう。


2025/02/14

『鬼の橋』『クラバート』読了

 先週から今週にかけて、伊藤遊著『鬼の橋』(福音館書店 1997)とオトフリート=プロイスラー著・中村浩三訳(偕成社 1980)『クラバート』を読了しました。どちらもこんなに面白い物語があったのかと溜息が出てしばし読み終わるのがもったいないと本を閉じながらの読書でした。物語に文字通り没頭するのは久しぶりでした。そして、そうして時が過ぎゆく感覚は不思議なものでした。

『鬼の橋』の主人公である小野篁は前々から気になっていた人物でどんな歌を詠んだのかと調べたことがあり、また、縁の六道珍皇寺はいつか訪れたいと思っていました。昼間は公務員、夜は閻魔大王の補佐役として政(まつりごと)の表と裏で闊歩する構図はすこぶる面白い。そうした発想はどのような背景があって生まれたのだろうか。いくつかの物語にも描かれ、現代においては伊藤遊が今を生きる存在として息を吹き込んだといえるでしょう。読んでいてこの物語が平安の過去のものとは思えない共通項が感じられます。鬼を介在させることによって摩訶不思議な物語が読む人をしてかくも容易くまことしやかな物語として読ましむるのだろうか。人というか人間はうちに鬼が住まうものなのだろうかと考えさせられる。そして、とにかく「うまい!」と唸ってしまいました。

『クラバート』は魔法文学とでもいうのだろうか。不思議な力をもつ魔法は幾千幾万もの物語に描かれてきました。その習得の過程は魔法文学のひとつの形です。『クラバート』はその典型といえるでしょうか。魔法の勉強は難しい。魔法は何でもできるはずなのに苦労を重ねて勉強をします。物語は中世と思しきドイツの水車屋が舞台となって展開します。親方に抗えない12人の弟子が毎年一人ずつ生贄となることがわかっている中で修業と粉ひきの仕事をします。弟子同士の疑心暗鬼にクラバートは揺れ動きますが、自分を愛する娘によって救い出される最終場面では愛するクラバートの不安の察知という魔法でも何でもない真っすぐな人の心の働きが描かれます。濃い読了感がありました。

鬼と魔法という人知が及ばないものに人はなぜ惹かれてたくさんの物語や昔話が伝わり今もこうして書かれるのか。キリスト教における魔女も然り。悪さをしない妖精も人知が及ばないということでは通じるものがある。こうした人知が及ばないものたちをつくりだすことで人は不安を乗り越えたりやり過ごそうとするのはないか。その説になるほどと思っています。

2025/02/11

メガネの憂鬱、再び

 「生きるためのファンタジー」で紹介のあった物語4冊の3冊目を読んでいます。面白くてたまらいのでちょっとした隙間時間も読めるようにカバーを付けて持ち歩いています。キャサリン・ストー著、猪熊葉子訳『マリアンヌの夢』は子ども向けなので少し大きいといってもやっぱり文庫版なので字が小さくて老眼鏡も持ち歩いて読みました。しかし、どこか違和感があって行きつけのメガネ店でデスクワーク用のメガネを新しく作ることにしました。老眼の単焦点のメガネを作るのは初めてだったので調べてもらったところ市販の+1では度が強過ぎることがわかりました。ふだんかけている遠近両用のメガネの手元用レンズは+0.75でした。市販では見かけたことがないと思っていましたがあることはあるようです。ただ、そこまで考えることはなくやっぱり専門店で相談してよかったと思いました。新しい+0.75の単焦点のメガネはノートパソコンから手元の小さな文字までくっきりと見えて長時間使っても疲れません。

今回新調したフレームは薄い飴色のセルの丸っこいデザインで他のメガネとは全く異なるイメージです。普段使いのフレームはやや尖った印象があります。デスクワークのみと割り切ると余分な力が抜けたのか、一言でいうと目立たないデザインを選んだということだろうか。メガネひとつで気分も変わるので面白くて不思議です。

2025/02/08

『マリアンヌの夢』の草

キャサリン・ストー作、猪熊葉子訳です。先週、四条畷市立田原図書館で開催されたルチャ・リブロの司書、青木海青子さんの講演会で紹介された本です。この日の演題は「生きるためのファンタジー」で、『マリアンヌの夢』もファンタジーに分類されるようです。

講演会で紹介されたファンタジーは4冊あってそのどれもに惹かれて全部を取り寄せました。最初に読もうと思ったのは『マリアンヌの夢』でした。主人公のマリアンヌもマークも病気で、「子どもの成長にとって病はどんな意味があるのか」について考えさせられる作品だという青木さんの一言がその理由です。ファンタジーといわれる文学作品を読むのはもしや何十年ぶりかもしれず、ぐいぐいと作品の世界に惹きこまれてしまいました。読み終わったら自分でも不思議なくらいどっぷりと惹きこまれてしまってどう感想を言語化すればよいのかわからない状態になってしまいました。この本の主題は子どもの成長にとって病気とそれに起因する不安はどういうものかという点にあると思うのですが、今日は他の一点、草、草原についてのみ書きたいと思います。

池袋児童の村小学校について調べていたとき、校舎も校地もあまりに狭くて子どもたちは隣地の原っぱで自然観察をしたり遊んだりしたという記述が元児童らの証言で私の目を引きました。放課後もそこで遊ぶことが多かったとも。野村芳兵衛が子どもたちに穴を掘らせたのもそこだったのかと思いましたが、原っぱや草、草原という言葉は勤務校の草だらけの運動場を駆け回って遊ぶ子どもたちの姿と見事というくらい重なって私の研究の重要なキーワードのひとつとなりました。そして、『マリアンヌの夢』も草や草原が度々登場して物語を構成する大事なキーワードとなっているように思います。

お母さんのマホガニーの裁縫箱で見つけた1本の鉛筆で画帳に描いた家の周りにマリアンヌは草を描きこみます。彼女は慎重に描きこみます。

 マリアンヌは家のまわりに柵をかき、門から玄関まで小道をつけた。柵の内側には花を咲かせ、家の外側には一面に丈の高い草をかいた。すくなくともその草の丈が腰のあたりまであればいいと、マリアンヌは思った。柵の外の草原には、ごろんとしたおおきな石をいくつかかいた。それはコンウォール地方の荒野(ムーア)でよく見かけるような大石だった。

草とその大石は物語の最後まで重要な役割を担います。草は大石から逃げるマリアンヌとマークの脚を刺して傷つけたり伏せるふたりを追っ手から隠したりします。途中を全部端折って物語は次の3行で終わります。

 すべてが、ゆっくりと休み、満足し、待っているように思われた。マークはやって来る。マークはマリアンヌを海に連れていくだろう。マリアンヌは、いい香りのする、短い草の上に横になった。マリアンヌも待った。

私はイギリスを訪れたことはありませんが、ヒースに覆われたムーアとよばれる荒野は私にとってイギリス文学の原風景といっても過言ではなく、やはりコンウォール地方が舞台の『マリアンヌの夢』で草や草原が幾度も描かれていることにこの作品の奥深さを思うのです。もちろん、この作品の大きな読了感は草だけのものではありませんが今日は草に焦点を当ててみました。

文学と草といえば、アラン・コルバン著、小倉孝誠・綾部麻美訳『草のみずみずしさ 感情と自然の文化史』(藤原書店 2021)にふれないわけにはいきませんが今日はここまでとします。

2025/01/28

満州開拓平和記念館と井口喜源治記念館へ

 先週末に長野県下伊那郡阿智村の満州開拓平和記念館と安曇野市の井口喜源治記念館に行ってきました。

満州開拓平和記念館は幹線道路から離れた細い道の奥にあります。建物は平屋でさほど大きくないものでした。しかし、中身はたいへん充実した濃いものでした。記念館のあゆみをまとめた動画の上映前に職員の方の説明に「民間で」立ち上げたというくだりがありました。日本政府が整えるべき施設であり保存するべき資料なのに民間が担っているのはなぜか。満州は日本にとって“不都合な史実”ということなのか。記念館を訪れた中学生の感想に「日本が加害者だったことに驚きました」という一文がありました。歴史を見る確かな見識をもたねばならない。記念館では満州に渡った人たちの証言を様々な形で残していてそれがたいへん貴重な資料だと思いました。地道な取り組みですがそうした資料を目の当たりにするとかけがえのないものとして迫って少し息苦しくなるほどでした。三重県の資料も函入りのハードカバーとなってまとめられていました。私も町内から満州に渡って終戦で帰ってきたときには骨壺をいくつも抱いていた話を母から聞いたことがあります。過酷な歴史です。帰国してからも地元で暮らせる人は多くなかったようで新たな土地をまた開拓する苦労が重なり、その土地をバブルで買い上げられてまた他所に移ることになったなどにわかには信じられないことがあったと知りました。今回は1時間半の滞在でした。また訪れてしっかり証言を追いたいと思っています。

安曇野市の井口喜源治記念館は満州開拓平和記念館から車で1時間半で着きました。ここは古い建物で私が訪れるまで展示室の電灯や暖房も消してあったようで職員の方が点けてくれました。といってもコンクリートのたたきは家庭用のファンヒーターひとつですぐに暖まるわけではありません。深々と冷える中で動画や資料を見ました。ここを訪れたいと思ったのは信州教育とキリスト教のかかわりを調べていてその原点が井口喜源治の研成義塾にあるのではないかと考えたからです。かといって記念館にそれを示す資料や展示があるわけではありませんが、井口喜源治が日ごろ何に触れて何に囲まれて過ごしていたかという空気感はあったと思っています。ここもまた何度か訪れたいと思っています。相馬黒光の自宅から研成義塾に寄贈された明治の足踏みオルガンも弾いていいということだったので少し音を出してみました。ペダルを恐々と踏んだのではっきりした音は聴けませんでした。同志社大学人文科学研究所 編集の『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾 』(1979)の読書会を行っているようで来年度は参加したいと思います。

帰路は塩尻ICから中津川ICの間を国道19号線を走りました。国道19号線は木曽高速という異名をもつようですが交通の流れはたいへんゆるやかで景色をそれなりに見ることができました。といっても午後の時間帯は木曽川の谷に沿ってJR中央本線と国道19号線が走っていて東西を山に囲まれているので日照時間が短くてはっきり見えたわけではありません。驚いたのは点在とはいえほぼずっと家が見えたことです。旧中山道であったことからずいぶん賑わったことと思います。奈良井宿など宿場を示す標識もあちこちにありました。この谷沿いも歩いてみたいのですが、木曽福島は登山と縁のある街だったのではないだろうか。大学生の頃よく読んだ登山の本にあったような気がしました。

1日の走行距離677.8km、帰宅時の燃費は14.1km/Lでした。

2025/01/13

京都へ

この3連休は冬型の天気で山は新雪が積もってきっときれいと思いましたが私の技術では想定外の困難があるかもしれないと山行は断念しました。そしてふと京都に行くことにしました。京都はオーバーツーリズムでたいへんと聞いているので新名神が名神と合流する手前の草津田上ICで降りてJR瀬田駅近くの駐車場に車を置いて鉄道で京都に向かいました。京都駅で山陰線に乗り換えて太秦まで行き、そこで嵐電に乗り換えて等持院・立命館大学衣笠キャンパス前で下車して徒歩で等持院に向かいました。

等持院は3連休中日なのに訪れる人はまばらでゆっくり回ることができました。等持院を訪れた理由は特にあるわけではなく散策のスタートにしようとしました。足利氏代々の坐像は初めて等持院を訪れたときに目が釘付けになってしまってその記憶を確かめるためにその後も足を運ぶことになったのだろうと思いました。

さて、Googleマップを見て次はどこへと一思案かと思いきや、「行きたいところ」を示す緑色のフラッグのアイコンがあちこちにあってそこを辿ろうと考えてすぐに歩き出しました。スタートが遅かったのでその時すでに昼12時半を回っていてどこかで昼食もとまたGoogleマップを見るとフィンランドカフェ ポーヨネンが目に入りました。いつどういう経緯でそこが登録されたのかさっぱりわかりませんがとにかく行ってみることにしました。途中、北野天満宮の前を通るとたくさんの参拝客がいてそこはスルーしました。

ポーヨネンは今出川通りを北に10mほど入った間口2間くらいの小さな店で動きにくい引き戸を開けたところ調理場と思しきスペースとカウンターが半分くらい占めていて狭い通路を挟んで小さなテーブルが壁に張り付くように置いてありました。先客はふたりで私が入ると席はあってもあとひとりというか一組がやっとか。私が注文したのはリハ プッラというミートボールでコケモモジャムを付けて食べるとメニューにありました。マッシュポテトが“がっつり”付くそうな。飲み物は“世界一マズいと言われている”サルミアッキとミルクを合わせたサルミルクです。どんなものが出てくるだろうと壁のポスターや本を見ながら待っていると小さなミートボール4個に広がったマッシュポテト、サラダが半分くらいを占めたプレートが来ました。コケモモジャムはミートボールの間にあって頼りなさそうに見えました。これだけで一食になるのかなと思いました。店の女性からコケモモジャムなどの話を聞きながらいただきました。ほどなくサルミルクも来ました。ジャムの類をミートボールに付けて食べるのは初めてでした。フランス料理は砂糖を使わないし私も料理にほどんと砂糖を使いません。その舌でジャム付きのミートボールは如何に!?と思っていましたが一口目から美味しい。その美味しさを何度も味合わいたくて小さなミートボールを半分に分けていただきました。マッシュポテトは薄味でサラダのドレッシングも薄味でこれは私の好みでした。サルミルクも美味しかったです。北欧のコケモモジャムは甘さが控えめで日本のジャムでは代わりが難しいそうな。日本では手に入りにくいのでそのときの代用も教えてもらいましたが店で販売もしているというので1瓶買い求めました。「値段が高いけどいいですか?」と一言ありました。私が住んでいるところから近いフィンランド カフェを教えてもらうと自宅から車で20分くらいだったので驚きました。また訪れてみたいと思いました。そんなこんなで店を出てあるき始めるとボリュームが心配だったのにお腹はしっかりした満足感があることがわかりました。

次は晴明神社で初詣客で賑わっていましたがほどほどでした。京都駅に向かって歩いていると京都府の旧庁舎など興味をそそる建物や地名がたくさんありました。平安女学院の聖アグネス教会は「ご自由に」とあったので入りました。大学の時京都で暮らしていたのでその教会の前は何度も通ったことがありましたが入るのは初めてでした。外壁は煉瓦造りですが中は木造建築そのものでした。高い天井も木が組み合わされていて日本瓦をこの構造で120年余も支えてきたのには驚きます。中は灯りが点いておらず焙煎したコーヒー豆のような深い色の壁や調度品が落ち着いた佇まいでした。横長のいすには真紅の布がかけられてあって色合いがやさしく、また、布の襞がとてもやわらかく思われました。

キリスト教の教会といえばとGoogleマップを見ると正ハリストス教会にしっかりマークがありました。ここは教会を外から見ただけでしたが遠く日本で布教を行ってきた歴史の深さを思いました。

途中、前々から気になっていた堀川商店街をゆっくり見てきました。街の図書館ではオープンダイアローグのイベントのチラシをもらってきました。堀川にかかる橋から下を見ると男の人が流れに沿った歩道のようなところを歩いていてこれも驚きました。よく見ると階段があって下に降りることができます。川底を歩くような格好となるので鴨川の堤を歩くのとは趣きが大きくちがうだろうなと余計なことも考えました。

京都の散策本は小倉紀蔵の『京都思想逍遥』(ちくま新書 2019)がいちばん身近に思っています。その地の歴史に思いを馳せながら歩くということについては京都はその密度の高さにおいて圧倒されます。昨日はやっとその一端に触れることができたのではないかと思います。県内の楯ヶ崎の駐車場まで車で約1時間半、瀬田駅前まで約1時間15分、距離は何とどちらも101kmで同じです。前述のオープンダイアローグのイベントは来月にあるので参加を目論んでいます。

2025/01/11

楯ヶ崎へ

熊野市の楯ヶ崎に行ってきました。熊野灘に面した断崖の一端がダイナミックな柱状節理を形成していて壮観でした。空は真っ青、海は穏やかで細かな波形が陽光に細かく輝いていました。絶好の登山日和でしたが片道約40分の遊歩道のようなコースでした。しかし、ハイカットの登山靴で行きました。

11月のツーリングの翌日、目が覚めると左膝内側に今までにない痛みがあるのがわかりました。階段を降りるのもつらくてだましだましの毎日ですが何もしていないときは痛みがありません。ネットで調べると鵞足炎か。久しぶりに乗った250kg超のバイクを支えるとき無理な力がかかったのかもしれないと思っています。日薬で少しずつ良くなってきてリハビリにと楯ヶ崎まで行くことにしたわけです。コースからすると大げさですがハイカットの登山靴を履いて靴紐をぐっと締めると怖いものなしの気分です。昨年骨折した右足首に時々痛みを感じましたが大きな不安もなく歩くことができました。

千畳敷という岩場で同行の知人がMSRの灯油バーナーをいじりだしたら頭上にトンビのような鳥が20〜30羽飛んで旋回を始めました。おにぎりや唐揚げだったら急降下で掠め取ろうという魂胆か!? 湯がわいてカップスープを取り出すとあてが外れたようで遠くに行ってしまいました。昼には気温が15℃まで上がりましたがカップスープの温かさはありがたくて元気が出ました。

今日の装備を備忘のために記す。インナーはミレーのメッシュ上下に下は薄手のタイツと裏起毛のトレッキングパンツ、上はモンベルのウィックロンのジップオープン襟付きに薄手の同タイプのフリースで行動して休憩時はモンベルのスペリオダウンジャケット。帽子はコロンビアのニット。靴はモンベルのアルパインクルーザー。ザックはオスプレイ38L。カメラは2台のCanon EOS M5にTAMRON 18-200mm F3.5-6.3 DiIII VC B011EM-BLACKとEF-M 10-22mm F4-5.6IS STMを着けっぱなし。

2025/01/06

メガネの憂鬱と満蒙開拓青少年義勇軍

不謹慎な気配がする見出しですが今日メガネ店に行かなかったらおそらく出会うことがなかったであろう新聞記事とのエピソードです。

昨年5月に新調したメタルフレームのメガネのかけ具合がいよいよおかしくなってきて年明けから古いセルフレームのメガネを使っていました。こちらは昨年レンズを交換したので視界はクリアですが何しろ15年も前のフレームです。ツルにヒビが入っていたりと心もない代物ですが不思議と私の顔と頭の形に合って予備メガネとして重宝してきました。ただこれに頼ってばかりもいられずメガネ店に行くことにしました。よく見るとメーカーも品番も同じのメタルフレームがあってフレームだけを交換することになりました。前のフレームは全体がメッキのように輝いていましたが今回のはレンズのまわりがチタンのマテリアルの色、ツルは紺というツートンで落ち着いた配色です。掛け心地がすこぶる良い。前のフレームも品定めをしていたときは良かったのですがフレームの調整でおかしくなって何度か店に行って調整をしてもらったのに元に戻せませんでした。耳と耳の周りが痛くなったりフルフェイスのヘルメットではきちんとかけらなかったりと散々でした。そのため今回は店で並んでいる状態、試し掛けで良かった状態で受け取ってきました。掛け心地も見え方も申し分ありません。フレームを交換しただけでしたが見え方を確かめるために新聞が用意されました。そのトップ記事を見て食い入るように読んでしまいました。見出しは「満蒙開拓団 少年の心境」で今朝の中日新聞でした。メガネ店の帰りにコンビニでその新聞を買い求めました。

信州の教育を調べていた時、満蒙開拓青少年義勇軍の隊員は長野県が全国最多で同県の教師らが子どもたちに呼びかけて募っていたことを知って驚きました。「教育県といわれる長野でまさか」というのが率直な感想でした。このことは今も調査が進められているようで今日の中日新聞の記事もその延長線上のものと読みました。戦後80年となる今年、新聞で取り上げられた少年の日記や遺品が公開されるようです。こうした資料は今も少なからず少年義勇軍の元隊員の実家などに眠っているのではないでしょうか。調査が進んで公開されることを切に望んでいます。

2025/01/01

バレエの歴史

この年末年始はバレエの歴史の本ばかり数冊を渡り歩いて読んでいます。きっかけはクリスマスの日に日本ヴァレリー研究会のウェブサイトで寺尾佳子の書評、川野惠子著『身体の言語 ―― 十八世紀フランスのバレエ・ダクシオン』(水声社、2024年)を読んだことです。そもそもバレエ・ダクシオンとは何かという初歩からですが、前々からバレエで物語を表現することの不思議さが気になっていたのでそれを紐解く示唆があちこちにあって夢中になってしまいました。事はバレエだけではありません。私自身が経験してきたミュージック・ケアの身体、学校を詩境という言葉で捉えた信州の教師のまなざし、そして、4月から担任してきた4年生の子どもたちの姿も重なって私の頭はちょっとした飽和状態となっています。歴史の中のバレエという視点もすこぶる面白い。「教育の豊穣を語る言葉の可能性」をテーマとする私の研究がなんとか進みそうです。

2024/12/20

Chromebook

Chromebookを購入しました。機種は、Lenovo Chromebook IdeaPad Flex 3i Gen8 で、モニタは12.2インチIPS、インテル® プロセッサー N100を搭載してメモリは4GB、ストレージは eMMC 64GB、バッテリー駆動は12.0時間、重量1.25kg、色はアビスブルーです。

Chromebookを使う理由はテキストを打ち込むことに特化したツールが欲しかったことにありますが、少し前にWindowsが世界規模でブルーアウトしたときChromebookで救われたという海外滞在中のライターの記事を読んでそのための備えもしておきたいと考えたこともあります。候補を探していていろいろバランスが取れていそうなこのモデルが目に留まりました。LenovoのノートPCはこれで3台となりました。黒でも白でもシルバーでもない色が気に入っています。

いわゆる2+1スタイルでモニタはタッチスクリーンです。ただこのモデルはグレアで指紋が付きやすいとのことでまずノングレアのフィルムを貼りました。これがまことにきれいに仕上がって満足! 他のLenovoと同じくアールズギアの龍のマークもきれいに貼ることができました。キータッチは他の2台のYOGAシリーズのような質感はありませんがコンパクトで手に馴染みます。

ChromebookのOSはChrome OSでWindowsやMac OSのようにいろんなことができるわけではありませんがストイックにテキストを打つにはなかなかの相棒です。この潔さがいい。自作PCが起動しなくなってiTunesのプレイリストをなくしたことで気づいた意識のリセットの延長線上でChromebookに出会ったわけです。

Chromebookをテキスト入力ツールと割り切って使っている人はままいるようです。「Chromebookで小説を書くためのアプリ」で検索するとけっこうディープな記事がヒットします。Androidの縦書きアプリを使っている人もいてさもありなんと思いました。Microsoft 365のアプリを使うとOneDriveベースの私の環境もChromebookで使えるのでテキスト入力ツールとして申し分ありません。Google Keepを併せて使うと強力なツールです。オフのときもできるだけ持ち歩いてとにかく書いていきたいと思っています。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...